越中式定置網発祥のまち氷見
えっちゅうしきていちあみはっしょうのまちひみ
氷見線の終着 氷見駅(氷見市伊勢大町1丁目12)のロータリーの隅に、観光案内地図などと並んで平成30年(2018) に石碑が設置された。
氷見地域の定置網漁業の始まりは天正年間(1573〜1592年)とされ、藁を材料とした「ワラ台網」を敷設したことに由来する。江戸時代初期 慶長19年(1614) には、灘浦の宇波沖にクロマグロを捕る夏網が敷設されていたことを示す文書が残っている。当時の台網は、魚群を袋状の網に誘導する垣網と、魚を捕らえる身網から構成され、藁縄で編んだ網が用いられていた。
明治40年(1907) には、宮崎県で用いられていた日高式大敷網が氷見の大境沖島漁場に導入された。氷見の漁業者はこれに改良を加え、大正元年(1912) には上野式大謀網が考案された。その後も魚群を効率よく誘導し、網の中に留めるための工夫が重ねられ、昭和期には「越中式鰤落し網」へと発展した。さらに昭和40年代には、漁獲作業の効率化を図る二重落し網が考案された。
氷見沖の富山湾は沿岸近くから急激に深くなる海底地形を持ち、沿岸から漁場までの距離が極めて近い。この地理的条件により、定置網で捕獲した魚を素早く港へ搬入・水揚げすることが可能となり、高い鮮度を保ったまま出荷される。代表的な水揚げ物である「ひみ寒ぶり」をはじめ、四季を通じて多様な魚種がこの漁法によって捕獲されている。
写真
碑文
越中式定置網発祥のまち氷見
漁村&魚食&両市の文化を育む
鰤起し風景モニュメント
寄贈・設置概要~寄贈・設置の趣旨~
「♬終着駅は始発駅♪」JR氷見駅の玄関口に世界を代表する「越中式定置網」の石碑を設置します。氷見らしい顔でお迎えする「場」として、このモニュメントを設置し、「漁村文化をリードする氷見」を世界にアピールします。
古くは400年の歴史を育む定置網漁法。「歴史や文化・伝統」がこの氷見で人々の生活様式に溶け込むなど、越中氷見で住む方々の心の支えとして、今日まで脈々と栄えてきました。
現在、整備されていますキャノピーの屋根上の「鰤の雪割瓦」同様この駅前から「定置網発祥のまちin氷見」「漁村文化を縁すつするまちis氷見」として、また、氷見市民の心の誇りとして持ち続ける場所として「モニュメント」を寄贈し設置します。平成30年11月吉日
寄付製造:㈲内生蔵石材店 代表 内生蔵雄治
越中式定置網発祥のまち氷見
題材“越中氷見寒鰤と格闘する漁師”
(漁師が伝統漁法の定置網で、ひみブランドの鰤を獲る姿を表現)
(原画絵:内生蔵恵子さん ─氷見市在住─)総重量:2.28t 材質:御影石
定置網発祥の地《氷見》
氷見は定置網発祥の地です。その起こりは天正年間1573年(今から約427年前)頃、ワラを材料にしたワラ台網が敷設されましたその後、先人の知恵と努力によって技術の改良が重ねられ、明治40年に宮崎県の日高式大敷網が大境沖島漁場に導入され、鰤の大量が続きました。大正元年に日高式大敷網を改良して、上野式大謀網を考案、その後も改良が続けられ、昭和に入り越中式落網に変り広く日本全域に普及し、昭和40年代には越中式鰤二重落し網へと技術の改良が進められました。
このように、氷見の定置漁業は歴史的にも伝統ある地域産業として、今なお激しく変化し続ける活気ある産業です。
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