冷蔵庫 創業の地

れいぞうこそうぎょうのち

 
撮影:
2026年3月(写真 まさ・なち さん)

気仙沼線BRT大船渡線 内湾入口駅から南東に1km、大船渡線 気仙沼駅から南東に2km、かつて復興横丁があった街区の隅に石碑が建つ。駐車場だった当地の端に、道路に向かって建てられていたものだが、平成23年(2011)の震災で津波に押し倒されていた。

同年11月に当地に復興横丁が開業し、石碑も再建されていた。その後、復興横丁も役目を終えて当地から解体され再開発されるタイミングで、敷地の隅に移設されて今に至る。

大正9年(1920)、この地において実業家の葛原猪平により、我が国初となる本格的な凍結設備を備えた大型業務用冷凍庫「葛原冷蔵気仙沼工場」が建設され、操業を開始した。それまでの水産業では、漁獲物の保存を天然の氷に頼るか、あるいは塩蔵や乾燥といった伝統的な加工法に依存していた。そのため、大量の魚介類を鮮度を保ったまま遠方へ輸送することや、時期による漁獲量の変動に応じて市場への供給量を調整することは極めて困難であった。

この状況を一変させたのが、気仙沼における機械式冷凍・冷蔵技術の導入である。米国製のアンモニア圧縮式冷却機を導入し、人工的に低温環境を維持できる冷蔵庫の誕生により、鮮魚や加工原料となるサメ肉などを長期間、高品質な状態のまま貯蔵することが可能となった。この技術革新は、気仙沼周辺の水産業に劇的な変化をもたらしただけでなく、日本全国の流通網や食文化にも多大な影響を与えた。魚介類の広域的な流通が可能になり、国民の食生活において年間を通じて新鮮な魚が供給される基盤が整った。

この歴史的業績を後世に伝えるため、平成5年(1993) に気仙沼製氷冷凍業協同組合が創立40周年を記念し、かつて工場が所在した跡地に「冷蔵庫創業の地」と刻まれた石碑を建てた。石碑は、気仙沼が日本の近代冷凍水産業のパイオニアであることを示す象徴的なモニュメントとなっている。

写真

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碑文

冷蔵庫創業の地

我が国初の本格的冷凍工場が山口県小郡町の人、葛原緒平氏により、大正九年(一九二〇年)この地に建設され水産物の凍結冷蔵が行われた日本における冷凍事業のはじまりである。 気仙沼製氷冷凍組合の創立四十周年にあたり氏の偉業を顕彰し慈に記念碑を建立する。

平成五年十二月

[12] 旧魚市場・漁業用冷蔵庫創業の地

現在、ウォーターフロントの施設が建つ南町の海岸付近には、かつては魚市場がありました。
明治以降、漁獲物の取引は水揚げされた海岸で行われていましたが、市場の公益性や衛生管理の観点から魚市場に関する法制度が整備されはじめると、気仙沼でも魚市場開設の機運が高まりました。従前の取引の仕組みから大きな変革となりますので、関係者の議論は長期間に及んだといいます。その結果、昭和10年(1935) に南町の海岸に気仙沼町魚市場が開業しました。
解説者は気仙沼町、業務者は気仙沼水産倉庫というカツオ節ややカマボコなどの水産加工業者などで構成された組合でした。ここでの魚市場業務は、昭和31年(1956)まで続きました。業務者については、戦後の制度改正などによる変遷がありましたが、昭和25年(1950)には気仙沼漁業協同組合が業務者となり、現在の地方卸売市場・気仙沼魚市場の卸売業務に引き継がれています。
この解説版に示した場所には大正9年(1920)に葛原冷蔵が建設されました。大量の魚類の冷蔵を目的として建てられた日本最初の冷蔵庫でした。この事績を顕彰するため、平成5年(1993)には、気仙沼製氷冷凍業協同組合によって「冷蔵庫創業の地」の石碑が建立されています。
※平成23年(2011)東日本大震災で被災しましたが、令和4年に再建されました。

地図

地図

気仙沼市南町4丁目 付近 [ストリートビュー]