銚子漁業 発祥地 外川港

ちょうしぎょぎょうはっしょうちとかわこう

銚子電鉄の終点、外川とかわ駅から 南に300m。外川漁港近くに大杉神社がある。その敷地の南西角に 高さ4mぐらいの大きな石碑がある。

銚子の港といえば当然銚子港だが, 現在の銚子港のある利根川河口付近は, かつて水深が浅く, 潮の流れが急で, 海難の多い場所だった。銚子港が現在のような形に整備されたのは 昭和初期のことで, それまでこの地域の漁業の中心は外川港であった。

銚子半島における漁業は, かつてはごく小規模に行われているだけだったが, 当時 農家が肥料として干鰯ほしかを使用し, その原料であるイワシが銚子沖で大量に獲れたため, 江戸時代の初めごろから紀州から船で来てそのまま移住する者も現れた。1658(万治元年)に紀州から碕山治郎右衛門が移住してきて, この地に波止場の築港工事を始めた。同時に陸上の“都市計画”も進め, 港としての形を整えて紀州から多くの漁民を呼び寄せた。その結果 「外川千軒大繁盛」と言われるほど村は栄え, 戸数は1,000軒を超えるまでになった。

その後イワシの不漁により 外川漁港はさびれてしまったが, 現在も緩い斜面に整然と区画されて残る古い街並みは, 独特の観光スポットになっている。

写真

  • 大杉神社
  • 銚子漁業発祥之地外川港 背面
  • 銚子漁業発祥之地外川港 背面
  • 銚子漁業発祥之地外川港 背面
  • 銚子漁業発祥之地外川港

碑文

銚子漁業発祥地外川港
開祖 﨑山治郎右衛門碑

建立碑文

 現今祖先を瞑目して具現するに明暦二年荒涼たる荒磯に立ちて眼下を見れば丘と海岸線は斜面よく広に似たり大海に望んで下総の東端に位する此の地こそ樹木を切り道を開き山を削りて家を育て石を砕いて港を築き吾が生涯の道人なすと寛文二年まで六年間の歳月を費やし大古や治郎右衛門が恰かも清衡の芝を含んで大海を埋むる工に似たりと私財を以て外川港の築港と都市造りに励み のち外川千古の功成り紀州人の先駆者として其の偉業は日本港湾史に特筆すべき珠玉なり特に治郎右衛門の港も昔日の影を止どめず然して其の業績はまた銚子半島文化史の基礎として燦然たるもの有り後世に此の史実を伝え郷土発展に尽すの一助たるは幸いなり 口碑三百二十八年子々孫々以て祖先の偉業を誇りとなし創志を養いて冥すべし

生国 紀伊国有田郡広村 﨑山大和源護八世紀州日高郡東光寺 鞍ヶ嶽長尾城主
碕山飛騨入道西宝五代広住﨑山助右衛門源頼安長男崎山治郎右衛門源安久教甫童名助五郎
記 延宝三年六十六剃髪 元禄戈辰八月四日七十八歳入寂

昭和五十八年十二月吉日 銚子市三崎町 十四代大古や 建之

発起人  江畑好治
八王子市下柚木 同 分家  江畑 清

後援
銚子木国会 外川漁協 渡海神社
県学芸課長大木衛 郷土史談会
埼玉県比企郡小川町 崎山貫一

地図

地図

銚子市外川町1丁目 付近 [ストリートビュー]