F-4EJ 飛行隊 発祥の地
えふよんいーじぇいひこうたいはっしょうのち
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の徳宿駅から西に8Km。航空自衛隊百里基地の正門を入った左側に“雄飛園”と呼ばれる 退役した戦闘機が保存・展示されているスペースがある。その一角に「F-4EJ飛行隊発祥の地」と書かれた石碑がある。石碑の裏手にはRF-4EJ(F-4EJの偵察機改修バージョン)が展示されている。
F-4EJは、昭和48年(1973) から導入された航空自衛隊の主力戦闘機。
この発祥碑は、昭和48年(1973) にわが国初のF-4EJ飛行部隊として“第301飛行隊”が創設され、その後 昭和60年(1985) まで12年間にわたり、ここ百里基地で操縦者の教育と対領空侵犯対応を担い、航空自衛隊にF-4時代を築いたことを記念して建立された。
航空自衛隊が導入した F-4EJ の総数は154機とされているが、その後 主力戦闘機として F-15J が採用され、F-4EJは数を減らしている。
写真
碑文
F-4EJ飛行隊発祥の地
平田仲成書
この記念碑は,第301飛行隊が昭和48年10月16日航空自衛隊初のF-4EJ飛行隊として誕生し昭和60年3月九州に移動するまでの間,この百里基地において活躍したことを記念して建立したものである。
第301飛行隊の略歴
47.8.1 F-4EJ臨時飛行隊発足隊長2等空佐尾崎義弘
48.2.5 機種転換操縦課程(EF)試行課程開始
48.5.1 304号機鹿島灘沖で空中爆発(隊長尾崎義弘2佐・阿部正康1尉殉職)
48.10.3 EF・1期 教育開始
48.10.16 第301飛行隊編成完結
初代隊長 2等空佐 副島嘉豊
49.8.1 第2代隊長 2等空佐 鈴木龍生
49.12.2 EFW・1期 戦技課程学生教育開始
51.3.26 第3代隊長 2等空佐 石塚 勲
51.5.28 F-4EJ保有機 36機
52.8.1 第4代隊長 2等空佐 中塚順策
53.8.14 第5代隊長 2等空佐 大橋武郎
53.10.31 F-4EJ 百里基地で対領空侵犯措置任務開始
53.11.17 北海道島松射場で364号機墜落(森■■■■■■)
53.12.7 310号機墜落(乗員救助)
54.7.6 307号機墜落(乗員救助)
54.8.1 第6代隊長 2等空佐 村木鴻二
54.10.17 第1回総体対戦闘機戦闘競技会 優勝
55.8.5 米空軍交換幹部受入開始
55.11.12 第2回総体対戦闘機戦闘競技会 優勝
56.8.1 第7代隊長 2等空佐 竹河内捷次
58.8.1 第8代隊長 2等空佐 平田伸成
59.7.23 EFW・17機課程修了(百里基地での練習終了 78名を教育)
59.12.1 7空団における対領空侵犯措置任務解除
59.12.21 EF・61期課程修了(百里基地での教育終了 587名を教育)
60.3.2 第301飛行隊 新田原基地へ部隊移動