航空輸送 発祥 記念碑

こうくうゆそうはっしょうきねんひ

南海電鉄本線湊駅(NK12)の北西800m。出島漁港の北西端に高さ2mほどの自然石の記念碑が海を背にして建っている。この記念碑は慰霊碑を兼ねていて、碑の足元にこの航空事業によって犠牲になった飛行士・機関士・整備士らの名前が記されている。

航空輸送発祥記念碑

1922(大正11)年、タクシー会社を経営していた井上長一氏が、この地に「日本航空輸送研究所」を設立して航空機による乗客・貨物・郵便の輸送業務を開始した。飛行場は大浜海岸の海水面と160坪の格納庫だった。

最初の航空路は堺(大浜)~徳島県小松島の間(約100km)で、3人乗りの飛行艇(水上飛行機)を利用した。現代的な感覚で言えば、堺にしても小松島にしても、どうしてこんな場所を選んだのだろう、ということになるが、井上社長自身の説明によると「そこは私の郷里。徳島には祖先の墓がある」ということだそうである。のどかな時代であった。

その後、堺-高松、堺-大分間、堺-白浜間などの定期航空路を開き、1929(昭和4)年に拠点を堺・大浜から大阪の木津川尻に移転した。しかし戦時体制に移行する中で、1939(昭和14)年に国策会社である日本航空輸送に合併させられて、この航空会社は18年の幕を閉じた。その間の延べ飛行距離は250万km、旅客25,000人だったという。

現在、この付近は埋め立てなどにより当時の面影は全くなくなっている。記念碑を訪れる人もほとんどないようで、草に埋もれていた。出島漁港も一部がヨットハーバーになっていて、あまり漁港という雰囲気はない。



写真

  • 航空輸送発祥記念碑
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  • 航空輸送発祥記念碑 碑文
  • 出島漁港

碑文

航空輸送発祥記念碑

元航空局長 波多野保二 書

大正十一年六月四日この地に日本航空輸送研究所を設け日本最初の定期航空を開始し二十有余年航空路開拓の貴き犠牲となられた翼友の芳名を記し冥福と加護を祈る

昭和三十四年六月再建
 勲六等 井上長一

一等飛行機操縦士
西村英雄
渡辺信二
井口実
田中富太郎
窪田亀之助
小川政信
福森一郎
武石米三
吉野達二郎
一等機関士
浜崎末五郎
一等機関士
佐藤辰司
可部薫一
岩崎寅次郎
奥宮正文
来田利雄
一等整備士
中前政二
広瀬隆輔
整備士
秋山直次郎
鄭 昌吉
宮本辰三

地図

地図

堺市堺区出島西町 付近