富士南麓 製紙業 発祥之地
ふじなんろくせいしぎょうはっしょうのち
岳南鉄道 本吉原駅から北西に800m。吉原公園の西側にある「富士市上水道管理センター」の北側に, 道路に面して 黒御影石の横長の碑が, 小型の副碑と共に建っている。
富士市は工業の盛んな街で, 特に富士山の伏流水による豊富なわき水を利用した製紙業が盛んである。 製紙工場は市内に70社近くあって, その数は 全国一。王子製紙・日本製紙(旧大昭和製紙)などの大企業もあるが, 多くは中小の製紙工場である。 市内の紙類の総生産量は 全国の12%余のシェアを占め、特にトイレットペーパーなどの家庭紙は生産量日本一を誇る。
この地域における紙の歴史は古く, 平安時代には既に紙の生産の記録があり, 鎌倉時代には 「駿河半紙」の名前が現れる。江戸時代になると駿河半紙は江戸や上方において好評を博した。しかしこの当時の紙の生産は農家における副業程度の規模であった。
明治に入って
その後 明治23年(1890) に富士市内(当時 鷹岡村)に東京の大資本を導入した近代的な洋紙会社が開設され, ここで培われた製紙技術を基に地元資本による機械製紙工場が次々と設立されて, 国内有数の紙の産地に成長していった。
写真
碑文
富士南麓製紙業発祥之地
平成六年八月吉日
社団法人・静岡県紙業協会
由緒
伝法村栢森貞助等は明治十二年富士南麓で初めてこの地に手漉和紙工場を設立稼働し農民の救済を図った輸入薬品を使った事が特徴であり富士地域が世界的な製紙業の地となった発祥がこの地であることを記念して建碑する
平成六年八月吉日