芸者 発祥の地
げいしゃはっしょうのち
現存しないようです(2018)が、何らかの表示があるようにも思いますので、要再調査
銀座通りには, 歴史的な事柄を解説する説明板が多数建てられているが, その一つとして, ヤマハホールの 銀座通りを挟んだ向かい側, “資生堂 THE GINZA”の前の歩道に 写真に示す説明板が建っている。
江戸時代に「能」は幕府から優遇され, 金春・観世・宝生・金剛の四家が, いずれも現在の中央区内(銀座~京橋)に屋敷を拝領していた。 室町時代からの伝統を持つ金春家は, 現在の銀座7~8丁目 (博品館から三井アーバンホテル・資生堂ビルなどの一帯) に広大な屋敷地を拝領し 金春屋敷と呼ばれていた。
金春屋敷は 江戸中期(1780頃)に麹町に移転したが, その跡地には 芸者やその関係者が 住み着くようになり, 金春芸者 (後の 新橋芸者) と呼ばれた。
現在では, 銀座通り西端の一筋北側の通りが「金春通り」と呼ばれ, 「金春湯」という名前の銭湯があったりして, その名残をとどめている。
明治以降, 東京中央部の花街としては 新橋・柳橋・霞町・・・ などがあったが, 銀座7~8丁目は 官庁街が近くにできたこと, 鉄道の始発駅・新橋に近いことなどを背景に, 東京で一番の花街となった。
写真
碑文
今を振り返る江戸の町と人々――
金春芸者
銀座は芸者発祥の地銀座8丁目あたりには, かつて金春家という幕府公認の 能役者が屋敷を構えていました。この金春屋敷で 下働きをしていた女性が, 芸者の始まりといわれています。
金春芸者は能屋敷をルーツとするだけに, 長唄・常磐津・ 小唄・端唄・舞などの芸に通じ, 人をもてなす才にも 長けていました。
銀座5丁目にある新橋演舞場は, この金春芸者の流れを 組む新橋芸者が自らの芸の発表の場として作った ものです。現在でも, 毎年5月は「あづま踊り」という 発表会が行われています。