下水処理 発祥の地
げすいしょりはっしょうの
ゆいの森通り(東京都市計画道路補助線街路第90号線)のゆいの森あらかわ信号を東に入ると、都電荒川線 さくらトラム 荒川二丁目駅乗り場上下線の間の踏切に出る。踏切を渡ると荒川自然公園の入口スロープがあり、スロープ脇には荒川区教育委員会が設置した札がある。
当地が下水処理発祥の地であることについては、「日本の下水処理発祥の地」を参照されたし。
写真
碑文
あらかわの史跡・文化財
下水処理発祥の地 (
妻夫塚 )三河島
字 八千代田,字 次郎田前と呼ばれていたこの地に二つの塚があった。妻夫塚と呼ばれるもので, 正平七年(一三五二)、武蔵野合戦における戦死者を葬った所と伝わるが, 詳細は不明である。 明治四十三年に 三河島処理場の敷地に編入され, 現在では正確な塚の位置を確認することができない。
日本で最初の本格的な下水処理施設である「三河島処理場」は 大正三年, 建設に着手した。同年から始まった第一次世界大戦の影響による 財政面の制約などの理由から, 工事の進行に打撃を受けたが, 大正十一年(一九二二)、完成した。 荒川区のみならず, 台東区の全部, 文京・豊島区の大部分と千代田・新宿・北区の一部の下水処理を行う。 赤煉瓦の処理場施設は建設当時からのもの。千住製絨所 (日本羊毛工業)などとともに 荒川区の近代化の担い手であった。荒川区教育委員会