甲府 御用水 発祥の地

こうふごようすいはっしょうのち

中央本線 甲府駅から西に2.2km。甲府駅と竜王駅のほぼ中間。県立中央病院の北西およそ500mの笛吹川の支流 荒川の土手上に, 黒御影石の石碑が建つ。

甲府御用水(甲府用水)は, もともと 江戸時代に「陣馬堰」で荒川の水を採り入れていた農業用水路として造られた。1594(文禄3)年に 甲斐の領主となった浅野長政は甲府城を完成し, 城下町の生活用水を確保するために, 神馬堰からの水を 湯川・相川を経て 甲府城内まで導入する 1.3kmの用水路を整備し, これを「甲府御用水」と呼んだ。(「御廊上水」とも)

ちなみに, 江戸時代における大規模な用水路造営は,

  • 小田原・早川上水 1545(天文14)年
  • 江戸・神田上水 1590(天正18)年

に次いで 3番目であった。

その後、長期間に渡って利用されていたが, 明治維新を迎え水の需要増を賄うために, 山宮から錦町まで 6kmの「新甲府用水路」が完成したが, これらの用水路はオープンな構造であったため衛生上の問題があり, また農業用水をも兼ねていたため農民との水争いが絶えなかった。甲府に市制が施行された1889(明治22)年になって近代的な上水道の敷設が計画され, 1913(大正2)年になってようやく給水が開始された。

現在, 発祥碑のある場所(陣馬堰跡)では 堰の遺構などは残されていないようで, 痕跡を見ることは できない。また 荒川の現状は, 川幅10メートルほどの中規模な河川で, これで甲府の町の水需要を賄うほどの 水量があったのかと不思議に思われる程度である。昔とは状況が変ってしまったのだろうか。

写真

  • 甲府御用水発祥の地
  • 甲府御用水発祥の地 碑文
  • 甲府御用水発祥の地 背面

碑文

甲府御用水発祥の地

題字 甲府市長 原 忠三

この地は 飯田町字陣場といい 江戸時代以来甲府城下町に用水を供給した甲府御用水いわゆる陣場堰の取入口のある所で 陣場堰の名は大永元年(一五二一)の飯田合戦の時武田信虎公が本陣を構えたことに起こる
この堰は 江戸初期に飯田河原が開発されたとき その灌漑用水として掘られたもので後甲府城下町の用水に供され 甲府御用水または御廓御用水の名で呼ばれたものである堰は全長一三二〇メートル その幅は一、二メートルで 途中の小湯川は箱樋を渡して通水したという
明治期に入り 甲府に上水道施設が整うと甲府御用水堰は再び灌漑用水路に戻ったが数百年にわたって飯田地区 甲府市街の住民の生活を支えた用水の恩を忘れてはならない

碑文 山梨県文化財保護審査員 佐藤八郎

昭和六十二年三月月二十九日

穴切地区文化協会

記念碑建立協賛者名

(芳名16名 省略)

地図

地図

甲府市富士見2丁目 付近