五平餅の 発祥の地

ごへいもちのはっしょうのち

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撮影:
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飯田線 飯田駅から北西に18km、中央本線 南木曽なぎそ駅から南西に約25km、冬は雪に閉ざされてしまう廃村大平宿にあった お休み処 大平(飯田市大瀬木、令和6年(2024)閉店)の跡地敷地隅に看板が建つ。

発祥の地については諸説存在するが、長野県飯田市の大平おおだいら部落(現在の大平宿)を起源とする説が有力視されている。

大平部落が発祥の地とされる背景には、この地が江戸時代に開かれた宿場町であり、交通の要衝であった歴史が関係している。大平街道の険しい峠道を往来する旅人や、山の管理を行う木こりなどの労働者に対して、エネルギー源となる食事が求められていた。当時、貴重であった米を潰して串に巻き付け、特産の味噌を塗って香ばしく焼いた五平餅は、過酷な環境で働く人々の携帯食や、特別な日のもてなしの料理として定着した。

大平における五平餅の最大の特徴は、その形状と味付けにある。一般的に五平餅には団子型やわらじ型などがあるが、大平のものは大型のわらじ型が主流である。タレには、甘口の味噌をベースに、地域で収穫される山椒の芽や実、胡桃(くるみ)、落花生などを細かくすり潰して混ぜ合わせる。これを炭火でじっくりと炙ることで、濃厚な風味と香ばしさが引き立ち、独自の食文化として発展を遂げた。

現在、大平部落は集落としては廃村となっているものの、歴史的な建造物が保存され、大平宿としてその街並みを今に伝えている。かつてこの地で旅人をもてなした五平餅の製法や味の文化は、周辺の飯田下伊那地域一帯に深く根付いている。

写真


碑文

五平餅の由来

今を去ること二百数十余年前の大昔、この大平部落の開祖[山田信七]が開発した同じ頃、大蔵五平という杣師(キコリ)が住んで居たとの事。
その五平が山仕事に毎日弁当(昼飯)には必ずにぎり飯を平にし味噌をつけ、それを火で焼いて食するのが常食だったとの事。
(当時はわらじの型で五平五合と言って一人でこの位い食したとの言い伝え)
これを見た連れの者達が、五平餅と名付け春と秋の山の神の祭りのごちそうとして、又来客の接待など今に伝わっている。
五平餅の発祥の地がこの大平部落であり今では全国に伝わっている)

加藤

地図

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飯田市大瀬木 付近 [ストリートビュー]