五城目 市 発祥の地
ごじょうめいちはっしょうのち
奥羽本線 井川さくら駅から東に9km。県道15号 秋田八郎潟線を馬場目川沿い南下し,町立馬場目性小学校より1km近く手前の少し東にはいったところに町村農村公園(南秋田郡五城目町馬場目町村)がある。 ここに「市発祥の地」と書かれた木碑と「五城目市発祥の地」と刻まれた黒い大きな石碑が建っている。
五城目市という自治体は無い(記事掲載時)。ここは五城目町。五城目の
五城目町は 羽州街道と阿仁街道を結ぶ“五城目街道”沿いに発展した町。かつて阿仁鉱山(銅山)は全国有数の産出量を誇り、明治時代には日本三大銅山の一つと呼ばれた。 また秋田藩では森林育成にも力を入れ,五城目町周辺から良質な秋田杉が多く産出された。このため 鉱山への物資の運搬や材木の輸送の中継地として古くから発展した。
発祥碑のある町村地区から4kmほど北西の五城目の町の中心部(下タ町通り商店街)では 500年の歴史を持つ“朝市”が開かれ賑わいをみせている。(毎月2・5・7・0のつく日の午前中)
この市は,500年前(1495年)に馬場目の地頭・安東季宗が町村地区に「市神」をまつらせて市を開いたのが始まりと伝えられ,その後 町村から現在地に移されて発展した。
写真
碑文
五城目市発祥の地
馬場目字町村
「市」の由来
町村(まちむら)は,馬場目川の対岸にあった中世城館馬場目城の城下集落として形成された集落である。明応年間に,馬場目安東五郎季宗が市神の柱をまわり,土着の在家斎藤弥七郎を市奉行に任じてこの地に市を開いた 市は非常なにぎわいをみせたと伝えられている。
「町」というのは「市」のことで,町村の地名は「市」の開かれる村という意味である。
文禄年間,馬場目玄蕃正勝時の時になって,秋田地方の支配者安東家に内紛がおこ り,五城目付近の勢力地図が塗り替えられ る。そのため市神の柱は,藤原内記秀盛の砂沢城下五十目に移った。以来,五城目市となって今日までつづいている。
町村は,五城目市発祥の地として記念すべきところである。昭和六十一年三月建立
五城目町教育委員会
五城目町馬場目町内会