行者そば 発祥の地
ぎょうじゃそばはっしょうのち
飯田線 伊那市駅から 西に7km。小黒川沿いに 駒ヶ岳登山道に通じる道路を上流にたどると, 途中に 駒嶽神社の鳥居がある。山の斜面に広がる境内に「行者そば発祥の地」の石碑と その由来を記した副碑が建ち, さらに 商工会議所が設置した「信州そば発祥の由来」説明板など いろいろと賑やかに並んでいる。
碑文を見て おや? と思う人もいると思う。どうも“行者そば”と“信州そば”という言葉が ゴチャまぜに使われているようだ。
- 奈良時代に 駒ヶ岳の修行に向かう行者(役小角)が, ここ内ノ萱の里人から手厚いもてなしを受けたお礼に 一握りのそばの種を贈り, 里人はその種を大事に育て“行者そば”と呼んだ。
- やがてこれが信州一円に広まり “信州そば”と呼ばれるようになった
ということで 2つの名前を持つことになったらしい。
さらに“行者そば”は“食べ方”につけられた名前でもある。行者そばは, そばつゆに焼き味噌を溶いて入れた辛つゆに, 辛子大根(高遠大根)のおろしとネギを薬味に添えて食べるのが特徴。
発祥碑のある神社から 北東に800mの場所にそば店「梅庵」(伊那市荒井内の萱7088-2)がある。 知る人ぞ知る有名な店だという。交通の便の極めて悪いこんな場所に客が来るのだろうかと鉄道派は心配になる雰囲気の場所だが, 結構そば好きが車で集まってくるらしい。
例年10月中旬には ここ内ノ萱で「行者そば祭」が行われ, 駒嶽神社に新そばを奉納し 参加者にそばを振る舞う。いつも行列ができる人気だという。
写真
碑文
行者そば発祥の地
伊那市長 原久夫書
行者そば発祥の由来
遠く奈良時代の始め西暦七〇〇年頃, 修験道を確立した役小角(えんのおずぬ)が最後の修行の場として, 駒ヶ岳に登る途中, 内ノ萱の村人の温かいもてなしの礼にと山間の高冷地でも実る一握りの蕎麦の種をおいて行ったという。やがて, 数百年を経てこの行者そばは, 信州一円に拡がって行ったと伝えられている。
寄付者御芳名
(芳名略)
発起人代表
(芳名略)
平成三年十月二十日
荒井区
内ノ萱 天狗 建之
信州そば発祥の地の由来
今からおよそ一三〇〇年の昔 修験道(密教宗教の一つ)の開祖として 知られる呪術を修た高名な僧
役小角 という人が西駒ヶ岳に登り修行したといわれております役小角 は全国各地に霊山を開き山岳信仰を広めた行者の元祖といわれ, 宗派確立に向け た最後の修行の場として信濃国は西駒ヶ岳をえらび東山道を通って小黒川沿い駒ヶ岳に登山したのです
途中立ち寄った, 小さな部落この内の萱の里人たちにお世話になったお礼にと一握りの 「そば」の種を手渡されたのです内の萱の里人たちは役小角か らもらった一握の「そば」の種を大事に育て「行者そば」と呼んで おりました
やがて信濃国も山岳信仰の 広がりと共に各地に霊山が開かれ信仰の場となった戸隠 などをはじめ霊山のふもとの人里にこの内の萱で収穫された「行者そば」の種が行者たちの手によって運ばれ信濃国全域にひろがっていったのですそれ が今「信州そば」といわれ全国的有名なそばと発展したのです伊那市商工観光課