日立製作所を 創業す
ひたちせいさくしょをそうぎょうす
常磐線 日立駅から北に約2km。日立製作所山手工場の裏側(南東側)の一角に熊野神社がある。神社の外苑(社務所の脇)に丸みを帯びた石に金属のプレートを埋め込んだ石碑が建っている。
石碑には「発祥の地」あるいは「創業の地」などの標題がないが、「此地に日立製作所を創業す」という碑文が書かれており、通称「日立製作所創業石」と呼ばれる。
日立製作所は(旧)日立鉱山の機械修理工場から始まった。日立鉱山は明治38年(1905) に久原房之助氏によって創業され、日本の四大銅山の一角を占めていた企業。
当時鉱山で使用する電気機器はほとんどが輸入に頼っており、これの修理のための施設(工作課修理工場)が日立鉱山内に作られ、その責任者として当時33歳の小平浪平氏が招かれた。小平氏は単に設備の修理を行うだけでなく、電機の国産化を目指し、明治43年(1910) に「久原鉱業日立製作所」として独立した。最初に作ったのが5馬力のモータ“日立モートル”である。これは国産第一号のモータであり、この後鉱山で使うモータはすべて自家製とする方針が打ち出された。
まもなく日立市内に山手工場を建設しこれが日立製作所の創業の地となり、以前の修理工場は“創業小屋”と呼ばれている。
写真
碑文
小平浪平氏
明治四十三
年の秋茨城
県日立村の
此地𛂋日立
製作所を創
業𛁑
株式会社日立製作所全従業員五万有余名の拠出金に依って之を造り其の姓名をここに蔵す。
昭和十五年二月十一日