日立製作所 学校教育 発祥地

ひたちせいさくしょがっこうきょういくはっしょうち

常磐線 日立駅から北に約2km。日立製作所山手工場の南東側 裏側の一角に熊野神社がある。神社の社殿の前は広場になっており、その奥の宮田川に最も近い所に発祥碑と由来が書かれた副碑が建っている。

すぐ近くの社務所脇には"日立創業石"がある。

日立製作所の創業者小平浪平氏は、明治43年(1910)、「日立製作所」創業と前後して、「徒弟養成所」という技術者(職工)の養成機関を開設した。電機業界の揺籃期であったこの当時は、電気・機械技術を修得した職工はほとんどなく、人材の養成が急がれたためであった。初年度の生徒は工場の見習工36名で工場内で教育を始め、翌年には工場の近くに寄宿舎と教室が完成した。

これが現在の「日立工業専修学校」のルーツである。

昭和3年(1928) には徒弟養成所が廃止され、新たに「日立工業専修学校」が設置された。その後「日立工業青年学校」と改称。昭和15年(1940) に現在地(日立市成沢町)に校舎を新築移転。

戦後昭和23年(1948)に各種学校「日立工業専修学校」となり、昭和39年(1964) に「科学技術学園工業高等学校(通信教育)」の開設に伴いこれとの併学を開始。昭和53年(1978)に学校教育法に基づく専修学校となり、現在に至っている。

写真

  • 日立製作所学校教育発祥地
  • 日立製作所学校教育発祥地 碑文

碑文

日立製作所 学校教育発祥地

小平浪平翁は明治四十三年
日立製作所創業の時
日立工業専修学校の前身
徒弟養成所を
この地に創設した

馬場粂夫

昭和三十五年九月

地図

地図

日立市白銀町1丁目 付近