北海道 農民組合 運動 発祥地
ほっかいどうのうみんくいあいうんどうはっしょうち
函館本線 旭川駅の東3km。旭山動物園の東側の道路を南東に進み旭川第四小学校の先の交差点脇に大きな黒御影石碑が建っている。
大正前期, 第一次大戦後の不況の中で農村では小作料の減額をめぐる“小作争議”が頻発し, 大正11年(1922) 賀川豊彦らの指導によって日本農民組合が結成され組織を拡大していった。
昭和になると左翼運動に対する弾圧が強まり, さらに戦時中には農民運動も禁止され 組織は解散したが, 太平洋戦争後 一挙に復活し農民が結集した。昭和22年(1947) 農地改革の実施により, 全国の70%に相当する農地が小作人のものになり, 小作制度は消滅した。これにより農民組合は目標を失い衰退したが, 現在は「全日農」(全日本農民組合連合会)に引き継がれている。
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写真
碑文
北海道農民組合運動発祥地
岩淵 享 書
本道における自主的な農民組合運動の鍬は ここ上川郡東旭川村米飯の処女地にはじめてうちおろされた
一九二五(大正十四)年九月五日 日本農民組合関東同盟米飯支部の旗であった
ながい封建的な地主制度のびしい搾取をうちやぶる北海道農民の自覚的なたたかいが 天皇制政府 地主の圧迫に抗して組織として確立されたのである それは上川郡神楽村農民の一九一一年から数年にわたる小作地又貸反対 御料地払い下げの闘争にひきぐつ本道農民組合運動の輝かしいあけのぼであった
米飯支部の創設に力をつくした人びとをはじめ 運動初期に参加した多くの人たちも今はない 苦難にたおれた先覚をしのび 歴史の原点を永く記念し 碑をここに建設する一九七三年 九月 五日
建立 農民組合創立五十周年記念祭
北海道実行委員会
碑文 五十嵐 久弥
書 倉田 康司全日本農民組合北海道連合会は 第26回定期大会の決定にも とづき,同連合会役員 書記局員 で実行委員会を構成 創立五十周 年記念事業の一環として此の碑を 建立する
実行委員会名簿は省略した