上川 水稲 発祥之地
かみかわすいとうはっしょうのち
富良野線 西御料駅から南西に7km、
明治24年(1891)、杉沢繁𠮷は旭川市神居町上雨紛の地において、寒冷地では不可能とされていた水稲の試作に挑んだ。杉沢は青森県から移住した造材夫であり、本業の傍ら、自ら開墾した5アールの土地に赤毛種をまき、慎重に管理を重ねた。その結果、秋には約23kg(約1斗5升)収穫を得ることに成功した。この成果は、当時の北海道開拓において画期的な出来事とされ、極寒地でも適切な工夫と努力によって稲作が可能であることを示す証左となった。杉沢の試作地は、のちに「上川水稲発祥の地」として昭和45年(1970) に顕彰碑が建てられている。
ありがたいのか何だか不思議な道しるべが、道道219号と道道937号の丁字路付近に建っている。参考ページによると、ここまではすんなり行かれるが、この先が難解とのこと。ネットが発達するって便利ですね。
上川水田発祥之地という碑も別にある。
北海道内の発祥の地碑として数多く水田発祥の地が数えられるが、《北海道「水田発祥の地」記念碑》という書籍が発行されるほどである。
写真
碑文
上川水稲発祥之地
北海道知事 町村金吾 書
碑文
上川の稲作は明治二十四年青森県人杉沢繁𠮷氏がこの地に五アールを開田し約二十三キログラムを収穫したことをもってはじめとする 同氏は明治二十三年屯田兵村建設にあたり杣夫として雨紛原野に入り用務終了後この地に居を構えて農耕を志し旺盛な研究心と不在の精神によって先駆的業績を成し遂げ上川稲作発展の基礎を築かれたのである
以耒今日まで呑々父祖はこの先達の精神と業績を支柱としてきびしい試練とあらゆる困難に打ち克って柵付面積六万七千余ヘクタール 総生産量三十万トンに達する管内稲作の繁栄をもたらしたのである
ときあたかも旭川市開基八十周年にあたり有志相計り先人が成し遂げた偉大な功績に対し深く感謝の念を捧げるとともにこれを永く後世に伝えるためゆかりのこの地に記念碑を建立した次第である ねがわくば後継者諸兄が先達の逞ましい開拓者精神を継承して上川農業躍進のために一層努力をせられんことを念願しこれを撰する昭和四十五年九月四日
上川支庁長 山本 武 撰
旭川市農林課長 髙松武男 書