富良野 玉葱 発祥之地

ふらのたまねぎはっしょうのち

根室本線 富良野駅から南へ約2.5km。道道985号から東に少し入った玉葱畑の一画に石碑が立つ。もとは玉葱畑だったが現在は背景に小屋を背負っている。

写真


碑文

富良野玉葱発祥之地

由緒

山崎庄太郎翁明治廿九年富山県より渡後丗九年この地に移住、翌明治四十年札幌より玉葱種子を取寄せ約一反歩試作し畦巾七寸過燐酸五貫を施し、九百六十貫を得たが一箱八十銭で十箱しか賣れず殘りを捨てたと云う。之が富良野玉葱栽培の嚆矢である。以後毎年一反歩頑なに作り續け病虫害、価格暴落にも耐え此の地順應の種子固定に努め逐次栽培仲間も増加し大正十年には千四百貫余収穫する人あり当時米二反歩に比す有利作物と注目された。ついで大正昭和、戰前戰後を通じ病虫害、旱水害、肥料統制、価格不安定等の悪条件にも屈せず皆の工作意慾は一層昂まり軈て昭和三十三年玉葱振興会創立当時面積六十町に達した。雨今技術向上、消流促進、共販共計目覚しく今や市内面積八百六十ha耕作者四百六十戸生産量四萬噸、全国に声価の高い富良野市基幹作物に躍進した。この地に玉葱導入以耒正に七十余年、その间多くの先人が未踏の栽培技術に挑み未開の販路を拓いた血の滲む辛酸苦闘の尊い足跡あればこそである。茲に多くの先人え感謝の誠を捧げその功績を永く後世に伝えるため、玉葱振興会創立二十周年記念を期に、発祥縁りの値を卜し、玉葱の沃野拡がる空知川水系トナシベツ川産瑪璃質金山石にその由緒を銘刻して建立する

昭和五十二年十一月十八日

建立 富良野市玉葱振興会
撰文 富良野市長高松竹次

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富良野市下五区 付近 [ストリートビュー]