伊賀牛 発祥之地

いがぎゅうはっしょうのち

関西本線の新堂駅から南に2km、壬生野郵便局の50mほど北に“壬生野福祉ふれあいセンター”がある。ここの南西端のフェンス内側に黒御影石の石碑があり,その隣に説明板が建っている。

伊賀牛は,三重県の伊賀地方で育てられている肉用牛。三重県の牛肉といえば「松阪牛」がメジャーだが,伊賀牛は 松阪牛に匹敵する味と評価され「肉の横綱」と呼ばれる。伊賀牛の定義によると、

  • 伊賀地域で2年間育てられた
  • 黒毛和牛の
  • 雌の
  • 未経産牛

だけが伊賀牛の名称を使うことができるという。

伊賀牛は牛一頭買いが基本となっており,伊賀牛販売促進協議会認定の精肉店主が農家に直接買い付けをする。それに松坂牛よりも生産頭数が少ないため,主に伊賀市・名張市周辺で消費され 他地域に出回ることは非常に少なく希少価値が高い。

明治以前,日本における牛の飼育は専ら農耕用の役牛であった。明治に入って肉用牛の飼育が始まり,大正12年(1923) に上野市茅町に畜産組合が設立されてから,月間約400頭の肉牛が出荷され 優良な肉質と評判が良く,「伊賀牛」または「カネカ牛」の名前で全国的に広まったという。

戦後 農業用の役牛は姿を消し,逆に牛肉の需要が急激に伸びたことを背景に 専業的な和牛肥育農家が出現し,昭和32年(1957) に 伊賀町壬生野農協で6名の農家が15頭を飼育するグループを結成し,素牛の導入・肉牛販売の統一・肥育技術の研究などの共同実践が行われた。これが生産者による「伊賀牛」の組織的取組みの始まりとされている。

最近の伊賀牛肥育農家の数は約50軒。

写真

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碑文

伊賀牛発祥之地

伊賀町長 垂井正

伊賀地域で古くから農耕用として飼育されていた和牛が昭和三十年代に入り戦後の復旧が整い,所得の向上と農業の機械化が相まって,牛肉需要の飛躍的伸びから専業的な和牛肥育が芽生えてきた。当時,伊賀町壬生野農協で六名の農家グループが十六頭の素牛を肉牛預託制度を利用して協同購入し,技術の研鑚・肉牛販売の統一等,共同実践した事が生産者組織での伊賀牛発祥とされている。
以後,町全体さらに大山田,阿山町,伊賀全体へと波及的な広がりをみせた。又,各市町村,各農協,経済連の推進努力により『肉の横綱伊賀牛』にふさわしい銘柄牛作りが現在も行われている。

地図

地図

伊賀市川東 付近 [ストリートビュー]