宗谷 酪農 発祥之地

そうやらくのうはっしょうのち

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撮影:
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宗谷本線 南稚内駅から東へ14km、増幌ますほろコミュニティーセンター(稚内市宗谷村増幌)横に地味ながらしっかりとした石碑がある。

碑に刻まれた沿革史によると、宗谷地方における酪農の起源は明治時代に遡る。明治20年代に稚内へ乳牛が導入された後、明治26年(1893) に新潟県の豪農であり、初代新発田銀行頭取などを務めた実業家・政治家の市島徳次郎および薩摩藩出身の武士、実業家であり、北海道開拓の黎明期において中心的役割を果たしたほりもといが増幌に農場を開設し、乳牛100頭を飼育したことがじまりである。

明治39年(1906) には、福沢諭吉の娘婿である福沢桃介がこの農場を譲り受け、「福沢農場」として再出発させた。同年、札幌農学校(北海道大学)からホルスタイン種10頭を導入し、これが基礎牛と なって改良増殖が進められた。福沢桃介は明治41年(1908) に周囲の農場も買収し、1,700町歩(札幌ドーム308個分相当)に及ぶ大規模な牧場を経営した。

その後、昭和15年(1940) に雪印乳業幕別集乳所(恵北)が設置され、昭和18年(1943) には福沢農場で乾酪(チーズ)の製造が開始されるなど、増幌地区は宗谷地方における草地型酪農の基盤を築いた地である。

写真


碑文

宗谷酪農発祥之地

平成九年六月吉日
増幌開基百周年記念事業
協賛会一同 建之

明治26年
第1回測量(海岸よりケナシホロ迄)増幌開基とする。開拓者4戸入植。
市島氏、堀基氏、増幌に農場開設。乳牛百頭飼育。
明治39年
福沢諭吉氏娘婿、桃介しほり農場譲受け、福沢農場として再出発。
明治39年
福沢農場札幌農学校(現北海道大学)よりホルスタイン種10頭導入し基礎牛として改良増殖を図る。乳牛150頭飼育。
福沢農場バター製造。東京、阪神方面並びに海軍水交社に出荷始まる。
明治40年
獣医福沢農場事務所開業。
明治41年
福沢農場、札幌吉田牧場よりホルスタイン純血種を導入、増殖。
大正12年
稚内市街地乳処理場、福沢牛乳販売。
昭和2年
一般農家、福沢農場より乳牛を購入、飼育始まる。
昭和4年
福沢農場、札幌塩野谷牧場よりポーテージビーマン、月寒木村牧場よりエコーランド、クインピープ導入。以後、純血種の改良に全力を挙げる。
昭和6年
田中弥一郎氏、牛乳分離機購入、産業組合事業として北海道製酪組合名寄工場へ輸送。
昭和9年
福沢農場、近代的牛舎建設、完成。一般農家の頭数50数頭となる。
昭和15年
雪印乳業幕別集乳所(恵北)を設置。
昭和18年
福沢農場、乾酪の製造始める。
昭和27年
増幌総合開発実施決定
昭和28年
増幌で第一回家畜共進会開催。
昭和41年
酪農振興を図るため、混合農業より酪農専業に転換、逐次経営も大型化し、同年、農民組織の宗谷酪農民同盟を結成する。
昭和45年
稚内市声問、明治乳業完成。
昭和48年
宗谷農協、勇知農協合併。稚内農協となる。
バルク・クーラー導入開始。
昭和52年
バルク・クーラー普及により、恵北集乳所を閉鎖。
北海道営草地整備改良事業実施。

増幌開基百周年記念事業の一環として、この顕彰碑を建立す。
平成9年6月吉日

地図

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稚内市宗谷村 付近 [ストリートビュー]