日本の 珈琲文化の嚆矢

にっぽんのこーひーぶんかのこうし

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撮影:
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宗谷本線 南稚内駅から北東へ22km、厳島神社を擁する宗谷公園(稚内市宗谷村宗谷)。細長い公園の隅に、コーヒー豆を象った石碑がある。江戸時代後期に北方警備のため宗谷に派遣され、過酷な環境下で亡くなった津軽藩士を慰霊し、その歴史を伝えるために建立された石碑である。

最大の特徴は、外観がコーヒー豆の形状を象っている点である。

文化4年(1807) 、幕府の命令によって津軽藩兵約200名が宗谷の北方警護に当たった。しかし、急遽決定した冬期の越冬警備において、冬用の衣服や夜具の不足、および野菜不足によるビタミン欠乏から、多くの藩士が「浮腫病(水腫病・壊血病)」を発症し、記録にあるだけで32名が死亡した。

その後、安政2年(1855) に再び蝦夷地警備に赴いた藩兵には、浮腫病の予防・薬用として幕府から「和蘭(オランダ)コーヒー豆」が配給された。これが日本において、庶民が薬用としてコーヒーを口にした最初期の歴史とされる。

写真


碑文

津軽藩兵詰合記念碑

この碑は、文化四年(一八〇七)幕府による蝦夷地越冬警備のさい、厳冬下で次々と浮腫病に斃れていった数多くの津軽藩兵を悼むとともに、その後、安政二年(一八八五)再び蝦夷地警備に赴いた藩兵達には、浮腫病の薬用として「和蘭コーヒー豆」が配給されていた事実を記念するためのものである。

珈琲を飲めずに逝った人々と、薬として大事に飲んだであろう先人達の辛酸を、単に歴史の一齣として忘却するには忍びがたいし、その体験は日本の珈琲文化の嚆矢としても貴重である。

茲に、その偉業と苦難の歴史を後世に伝承すべく、ゆかりの地・宗谷に珈琲豆を象った記念の碑を建立することとした。

一九九二年九月十六日

宗谷岬に津軽藩兵詰合の記念碑を建てる

実行委員会会長 成田 専蔵

地図

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稚内市宗谷村宗谷 付近 [ストリートビュー]