板紙発祥の地
いたがみはっしょうのち
隅田川に架かる 千住大橋の500mほど西に「アクロシティー」という 高級マンション群がある。その南側に若宮八幡宮があって, オープンな空間の境内に5枚の金属板が空に向って広がる形の記念碑が建っている。
隅田川の流れは 原料や製品の輸送路として, また 工業用水として活用され, 荒川区一帯には 数多くの工場が建てられた。明治21年(1888) 東京板紙社が ここに工場を建てボール紙の生産を開始した。ちなみに, この時代は 手漉きの板紙だった。
その後 千住製紙 と社名が変わり 大きく発展を遂げた。 現在のアクロシティーは この工場跡地である。昭和50年代になって紙パルプ産業の不況のため大規模な業界の再編成が行われ, その一環として 昭和58年(1983) に十条製紙と合併し社名も十条板紙となり, さらに平成9年(1997) に合併して 日本板紙, 平成15年(2003) には大昭和製紙の板紙部門と合併して, 現在の社名は 日本大昭和板紙。
写真
碑文
板紙発祥の地
明治21年8月10日 東京板紙会社 社長佐久間貞一が, この地に工場を設立し, 翌22年(1889)6月新式抄紙機を英国から輸入するとともに外国人技師を 雇い, 稲藁を原料としてボール紙の生産を開始した。
わが国に於いて本格的にボール紙(板紙, 段ボール原紙等)を機械製造したの は, これが最初のことである。以来需要は年を追って増加し, 昭和63年(1986) には, 100万屯を超えるに至った。
原料も藁工品(空俵等)から故紙へと変遷した。その間に多くの関連業界が 成長し, 地域の発展に寄与した。
このたび, 荒川区のご協力により旧工場跡地に製造開始100年を記念すると ともに, 先人達の苦労に深い敬意と感謝を表しこれを建立した。平成元年5月
ご案内
紙は, 和紙・洋紙・板紙に大別できます。和紙の発祥地は, 福井県今立町の岡太 (おかもと)神社といわれ, 洋紙発祥記念碑は, 東京都北区の紙の博物館にあります。
板紙発祥の地記念碑建設会
代表幹事 荒井重次郎・幹事 片岡彌一郎・幹事 栗原正雄
会計幹事 田巻宏一・顧問 三浦成夫賛助会員
赤染次郎・秋山君夫・上田祐康・大久保信之・大場義一・加藤 撤・黒澤忠夫・近藤信儀・斉藤悟朗・桜井爲則・佐野孟司・志村傳三郎・須賀清文・千住会・千寿会・千住有志・田崎幸夫・豊島勝治・豊田八郎・真野貞子・山室博久・荒川区南千住六丁目町会・関東製紙原料直納商工組合・全国故ワラ工品協会・全国紙器工業組合連合会・東京都空俵商互助会