映画フィルム 自動現像処理 発祥の地

えいがふぃるむじどうげんぞうしょりはっしょうのち

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山陰本線 花園駅の南350m、京都市右京ふれあい文化会館(京都市右京区太秦安井西裏町11ー6)の東側の太秦安井公園の縁に石碑が置かれている。どうもこの石版は近所をうろうろ移動しているのではないかと思われる。

昭和7年(1932) 3月、この地に長瀬商店(現在の長瀬産業)によって「極東フィルム研究所」の京都工場が建設された。同工場には、日本で初めて機械式の自動現像機を備えた商業フィルムラボ(現像所)が設置され、イーストマン・コダック社の技術指導のもとで自動現像処理が開始された。

同研究所は昭和10年(1935) 2月に「株式会社極東現像所」として独立し、昭和17年(1942) には「株式会社東洋現像所」、その後のIMAGICA、IMAGICA Lab. へと社名を変更した。同工場では『羅生門』(昭和25年(1950))、『雨月物語』(昭和28年(1953))、『残菊物語』(昭和30年(1955))など、日本映画史を代表する名作の現像処理が行われた。

その後、昭和32年(1957) には日本初のシネマスコープ作品である『鳳城の花嫁』の現像処理も同工場で実施されたが、映画産業の変遷や拠点の移転に伴い、昭和45年(1970) 7月に京都映像センター(旧京都工場)は廃止された。

現在、工場跡地の一部には京都市右京ふれあい文化会館が建てられており、同会館の建物デザインには映画フィルムの形状が取り入れられているということになっているが、連続する四角がパーフォレーションを表しているとかそういうこと?

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碑文

映画フィルム自動現像処理発祥の地

この地において一九三五年(昭和十年)に株式会社東洋現像所(現株式会社IMAGICA)がわが国ではじめて映画フィルムの自動現像処理を開始しました。
この技術・技法は、その後のわが国の映像処理産業の礎となるとともに、映画やテレビコマーシャル等映像文化の発展に大きく貢献しました。

二〇〇七年(平成一九年)吉日

地図

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京都市右京区太秦安井西裏町 付近 [ストリートビュー]