「実母散」発祥の地

じつぼさんはっしょうのち

東海道新幹線・東海道本線他、日本の代表的なターミナル東京駅から東に450mあまり、全国信用組合会館分館(中央区京橋1丁目7)、平成25(2013) に創業300年を記念した「實母散発祥の地碑」が建立されている。一帯の再開発により街路が変更され街区まるごと1棟の巨大な建造物に置き換えられたりする過程で、近くにあった石碑も一旦は預けられ、令和6年(2024) 頃に東側に「文化歴史の道」として広重住居跡の説明などとともに再設置された。

正徳3年(1713) に、この地で薪炭業を営んでいた喜谷市郎右衛門によって創業された。本業の薪炭屋にちなんで「中橋薪屋薬」とも呼ばれていた。

創業者である喜谷きたに市郎右衛門は、訴訟のため江戸に上京し困窮していた長崎の医師を3年ほど自宅に居候させていた。隣家の豪商の娘が難産に陥った際、この医師が一服の薬を処方して命を救った。市郎右衛門はこの効き目に驚き、医師が長崎へ帰る際に秘伝の処方集を伝授されて薬の製造・販売を始めた。この経緯は江戸南町奉行の根岸鎮衛しずもりが著した随筆『耳袋』に記録されている。

当時の店舗の店頭には目印として「業平竹」が植えられており、その意匠は現在のパッケージデザインや本社の敷地に受け継がれている。明治18年(1885) の商標登録制度開始時には、第8代喜谷市郎右衛門により外箱意匠が「商標登録 第十六号」として認可された。これは医薬品分野で継続使用されているものとして日本最古級の商標である。

写真


碑文

婦人薬「實母散じつぼさん」発祥の地

(中央区京橋一丁目9番地辺り)

實母散じつぼさんとは江戸時代から続く婦人用薬で、産前産後の血の道の妙薬と言われ、江戸もみじ河岸(後の中橋大鋸町〜現在の中央区京橋一丁目9番地辺り)の喜谷きたに市郎右衛門本舗を本家として全国に流布しました。
「喜谷實母散」の創業は正徳3年(1713年) と言われており、その事情は当時の江戸南町奉行根岸鎮衛ねぎししずもりが著した『耳袋』に詳しく記述されております。

◆創業秘話~燐家の産婦を救った實母散

近江の国より江戸に出て、楓河岸で薪炭業を営んでいた喜谷家の太祖喜谷藤兵衛光長の養嗣となった喜谷市郎右衛門養益は家業を継ぎ、薪炭業を営んでおりましたが、たまたま実弟が紹介してきた長崎の医師某が江戸での要件が長引き困っているのを憐み、自家に引き取り、3年余り懇切に世話をしました。
そのようなある時、隣家の娘が産気づき、殊の外の難産となり、その両親が市郎右衛門に救いを求めに来ました。この窮状を聞き及んだ医師某は、隣家の産婦を診断の上、例え効果が現れずとも恨まないことを条件に一服の薬を与えたところ、間もなくして妊婦の苦しみが去り、お産を終えることができました。死産ではありましたが、母親は無事でありました。
諸医に見放された隣家の産婦を救った医師の薬の処方は市郎右衛門を驚嘆させました。医師は3年ほど世話になって長崎に引き揚げることになりましたが、市郎右衛門の要請に応え、且つ優遇の厚誼に報いるために、医師某も喜んでその秘伝の処方の詳細を市郎右衛門に与えました。
かくして、隣家の難産の婦人の起死回生を助けた妙薬の話は周囲に伝わり、江戸市内はもとより、四方八方から人を介して求めに来るものは多く、その妙薬があたかも慈母の赤子における如きをもって「實母散」と命名して、広く世間に発売することとなりました。それは正徳3年 (1713年) のことでありました。

平成25年(2013年) 

~創業300周年を記念して建立~
喜谷市郎右衛門本家

地図

地図

中央区京橋1丁目 付近