近江兄弟社 発祥の場所

おうみきょうだいしゃはっしょうのばしょ

 
撮影:
2019年11月(写真 まさ・なち さん)

東海道本線・近江鉄道 近江八幡駅の北西。近江兄弟社メンターム資料館(近江八幡市魚屋町17)の前に札が建つ。当地は、明治38年(1905) に県立商業学校の英語教諭として赴任してきたウィリアム・メレル・ヴォーリスの住まいだった。課外活動として近江商人となるべく青年たちを招き、キリスト教へと導いたが、仏教色の強い地域に疎まれ、解雇されなかったものの契約更改もされず、帰国。

明治41年(1908) に、建築士レスター・チェーピンを伴って再来日し、建築家としてほぼ素人のくせに活躍を始め、結核診療所を開設し、家具や楽器の輸入販売を始め、軟膏薬メンソレータムの輸入販売を始める。

私欲を満たすためではなく布教活動のための資金集めであり、近江の商人魂やら教会の婦人パワーやらでかなり売れたが、メンソレータム販売は今で言うところのマルチ商法だったとされる。

大正8年(1919) に、アメリカ留学経験のある華族の娘と結婚。翌年、親が忙しくて面倒をみてもらえない子らを集めた保育園の前身のような施設を開設、大正11年(1922) には幼稚園設立許可を取得。当初は夫人個人の事業だったが、後に近江兄弟社の教育事業となり、近江兄弟学園の前身となる。

日露戦争を経て太平洋戦争が開戦すると、昭和16年(1941) 日本に帰化、妻の姓を名乗り一柳(ひとつやなぎ)米来留(めれる)となって神道へ宗旨替えをした(ことになっているが、キリストへの祈りは欠かさなかった)。

様々な名称変更や事業の盛衰があり、昭和19年(1944) になって初めて「近江兄弟社」の名前が登場。昭和39年(1964) にヴォーリスは死去した。

来日以来、近江八幡やその周辺で活躍した本人や夫人を顕彰する施設等は、市内に点在する。

写真

  • 近江兄弟社発祥の場所
  • 神の国 石碑
  • 近江兄弟社発祥の場所

碑文

近江兄弟社発祥の場所『はじめいえ

1905年(明治38年)2月2日に来日したW・M・ヴォーリズ(24歳)は滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師に就きこの場所で日本の生活を始めました。

放課後には、自宅を開放して「バイブルクラス」を開き、多くの学生をキリスト教に導きました。ヴォーリズの親しみやすい人柄と純粋な心に魅せられて、彼の回りには多くの青年が集い“「神の国」の理想郷”づくりについて語り合い町づくりに邁進していったのです。

建築事業・結核療養所開設・製薬事業・教育事業や教会設立などの「夢」がこの場所から始まりました。

社団法人近江八幡観光物産協会

地図

地図

近江八幡市魚屋町元 付近 [ストリートビュー]