女子聖学院 発祥の地
じょしせいがくいんはっしょうのち
地下鉄 新富町駅の東500m。聖路加国際病院の100mほど北東に「国際パルプ商事」のビルがあり、その敷地内向かって右隅に四角錐のような独特の形状の石碑が建っている。
女子聖学院は明治38年(1905) にアメリカから来日したプロテスタント教会の婦人宣教師によって設立されたミッションスクール。当初は神学部で女性宣教師の養成を行ったが、数年後に普通科を設け一般女子の教育を始め、明治40年(1907) には現在地 北区中里に移転した。
戦後 昭和22年(1947) の学制変更により中学校・高等学校・小学校となった。現在学校法人聖学院は、聖学院大学、聖学院高校・中学(男子校)、女子聖学院高校・中学(女子校)、小学校、幼稚園を擁している。
この発祥碑は平成16年(2004) 10月に設置されたが、隣接地に新しいビルを建設するため、一時期金属カバーで覆われ見ることが出来なかった。平成18年(2006) 10月になって工事が完了し、ようやく石碑の実物を見ることができるようになった。
【リンク】女子聖学院
写真
碑文
女子聖学院発祥の地
この地は女子聖学院発祥の地 もと築地居留地14番であった。
そこに建つ14番館が, 宣教師 ジョン・マッケシブ先生の居宅だった。
1905年, 米国のクリスチャン・チャーチ (ディサイプルス・オブ・タライスト)の 宣教師バーサ・F・クローソン女史が借り受け 婦人伝道師の養成を始めた。開校式は同年11月1日 教師3人に生徒10人であった, という。今日では 幼稚園から大学院までを擁する総合学園となっている。学校法人 聖学院