住宅団地 発祥の地
じゅうたくだんちはっしょうのち
京成本線 八千代台駅は 東京から30km圏の住宅地。西口ロータリーのバス停前, 歩道のまん中に, コンクリートの壁を丸めたような, サーフィンに適した波壁のような、形容することの難しい 不思議な形をした 石碑が建っている。
千葉県住宅協会(昭和40年(1965) から千葉県住宅供給公社)により、八千代台西・北地区に60〜100坪程度の土地付の10〜18坪の木造平屋一戸建が分譲された。昭和30年(1955)10月に第1期の分譲を開始、翌年5月から入居開始。その後、年月が経過し、建て替え、分筆、合筆がなされ、誕生当時のまま現存する家屋もごくわずかしか残っておらず、団地と共に発展したはずの商店街も歯抜け状態となっている。
隣接する地域に、日本住宅公団(平成16年(2004) から都市再生機構)による八千代台団地がある。八千代台西六丁目にある鉄筋コンクリート造り2階建て約30棟が並ぶ姿が、いわゆる「団地」っぽい風情である。
団地と言えばそのような鉄筋コンクリートの集合住宅群を思い浮かべがちで、駅前の碑はこの公団団地のことを指し示すと考える人の方が多かろうと思われるが、この公団団地は公団としても八千代台としても、初期であれこそとくに発祥ではない。住宅協会による建売住宅団地のことだと言っても、前述の通り面影はほとんど残っていない。
写真
碑文
住宅団地発祥の地
この附近には明治以来習志野騎兵旅団が駐屯し 八千代台団地もその旅団の練兵場であったが 時は移り昭和30年3月多くの方々のご協力を得て 千葉県住宅協会の手でこの地に全国初の住宅団地が誕生した
これが契機となって住宅金融公庫の団地造成に対する融資制度も確立し 全国に続々と住宅団地の造成を見るようになった
今から見れば 八千代代団地は必ずしも大団地とは云えないが 団地誕生の歴史を回顧すれば八千代台団地のできたことは洵に意義深いものであった昭和40年4月
財団法人 千葉県住宅協会会長 友納武人