干瓢 発祥 二百五十周年 記念碑
かんぴょうはっしょうにひゃくごじゅっしゅうねんきねんひ
東武宇都宮線の
干瓢は“ふくべ”(= ウリ科のユウガオの実)を ひも状にむいて乾燥させた食品で, 水で戻して煮て寿司の具や 煮物などとして使われる。現在 国内での干瓢の生産高の90%が 壬生・石橋・上三川など栃木県南部であり, 圧倒的なシェアを誇る。 ただし 国内生産の10倍ほどの量が 中国から輸入されている。
この地方で干瓢が栽培されるようになったのは, 江戸時代中期(1712年)に 鳥居氏が 近江水口藩から 下野壬生藩に国替えしてきた時に, 水口で広く栽培されていた 干瓢を壬生に紹介し 栽培を奨励したことに始まる。したがって この地で干瓢の栽培が始まったというわけではなく, 「干瓢発祥」というのは「関東地方で初めて干瓢栽培が始まった」という意味であろう。
ちなみに この鳥居氏は, 関ヶ原合戦の前哨戦とも言われる 伏見城の戦いにおいて, わずかの兵で石田三成軍と渡り合って戦死した鳥居元忠を祖とする家柄で, 発祥碑のある 精忠神社は, 鳥居元忠を祀る神社である。また 鳥居氏発祥の地碑は 愛知県岡崎市にある。
写真
碑文
干瓢発祥
二百五十周年記念碑
栃木県知事 横川信夫書
記念碑寄附芳名(栃木県干瓢商業協同組合員)順序不同
(約70名の寄附者氏名と金額 ・・・ 省略)昭和三十七年七月吉日 建之