けの汁 発祥の地
けのしるはっしょうのち
奥羽本線 弘前駅の北 1km、和徳稲荷神社(弘前市和徳町210)境内の御即位記念石塚に並んで駒札が建つ。
小正月に食べられ、七草粥に相当する立ち位置の「けの汁」。「粥の汁」に由来するものと考えられている。日本では小正月は女の正月とされる地域が多く、鍋にたくさんつくって数日かけて食べ、女を休ませるという意味があったものとされる。
もとは、和徳城を囲まれた軍兵たちが、あり合わせの野菜とすり潰した大豆を煮て食べたと言われている。しかし結局討ち死にしてしまうわけで、それを食べた事実や味がどうして現代まで伝わったのかはよくわからない。もしかすると攻め入る大浦為信側の野戦食だったのかもしれないとも言われている。その前に、和徳城がどこにあったのかも正式には特定されていない。
和徳歴史探偵団についてもネットでは様子はよくわからない。
写真
碑文
和徳城が
けの汁発祥の地であることを宣言する平成十七年六月九日
和徳歴史探偵団