やせうま 発祥の地

やせうまはっしょうのち

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どなたか見てきてください!

久大本線 向之原駅から北東へ2km、妙蓮寺(由布市挾間町古野1030)の南隅に看板が建っている。

大分郡挾間町は、庄内町・湯布院町と平成17年(2005) 10月に合併して由布市挾間町となった。

写真


碑文

《やせうま》発祥[はっしょう][]由来[ゆらい]

盆時[ぼんどき]には小麦粉[こむぎこ][]ねて団子状[だんごじょう][][]ばしそれを[]で上げ砂糖[さとう]黄粉[きなこ]でまぶして[]べられている《やせうま》は大分[おおいた]名物[めいぶつ]として[ひろ][]られている。
その[むかし]京都[きょうと]御所[ごしょ]天皇[てんのう]のいるところ)にいた藤原[ふじわら]鶴清磨[つるきよまろ]という若君[わかぎみ]乳母[うば]である大原[おおはら]八瀬[やせ]とこの[]古野下原[ふるのしもばる])に隠遁[いんとん]して[]た。
八瀨[やせ]非常[ひじょう]信仰心[しんこうしん]つよ若君わかぎみ無事ぶじ成長せいちょういのるためこの妙蓮寺みょうれんじ地蔵じぞう菩薩ぼさつにおまいりにた。
八瀨やせつれだって若君わかぎみはおなかがすくと八瀨やせに《やせ、うま。やせ、うまくれ。》と催促さいそくしそのたびに小麦粉こむぎこねて黄粉きなこでまぶしたものをおやつとしてつくってあたえた。
それがいつのまにか《やせうま》になった。
これがことのこりである。
このではおぼんの二十三にちになるとここ妙蓮寺みょうれんじもよおされる御施餓鬼会おせがきえでお茶菓子ちゃがしとしてかならつくってべられておりいまでは習慣化しゅうかんかされひろわたとくなつ風物ふうぶつとしてかせない食物たべものとなっている。

- 挟間町誌より -

地図

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由布市挾間町古野 付近 [ストリートビュー]