喜多見小学校 発祥之地
きたみしょうがっこうはっしょうのち
小田急線 喜多見駅の南東 600m。氷川神社の東参道入口から 北に50mほど入った所に, 喜多見中部町会集会所がある。 ここに “世田谷区 名木100選”にも選ばれている イチョウの大木があって, 木の下に「喜多見小学校発祥之地」「祷善寺跡」と刻まれた石碑が建っている。
明治6年(1873) ごろ, この地に「喜多見学校」という寺子屋ができた。一説によると 近くの知行院に開校したとも言われるが, いずれにしろ 創立前後に あちこちの寺を 転々と移動したという。資料が見つからないため詳細は不明だが, その後 紆余曲折を経て, 現在の「世田谷区立砧小学校」に 引き継がれている。
ちなみに 喜多見3丁目にある現在の「喜多見小学校」は, たまたま この発祥碑と同名ではあるが, 昭和47年(1972) に 砧小学校から分離独立した新設校であって, 間接的には発祥地であるものの、直接の関係はない。
なお, 碑に書かれている「祷善寺」は, かつて氷川神社の別当寺であったが, 明治に入って 神仏分離により廃寺となった。本尊の薬師如来像は 現在 近くの知行院に安置されているという。
写真
碑文
喜多見小学校 発祥之地
祷善寺跡