神戸水道 発祥の地
こうべすいどうはっしょうのち
神戸市営地下鉄 県庁前駅の北西、 諏訪山公園の西側にある神戸市水道局の「奥平野浄水場」の構内に神戸市水の科学博物館(兵庫区楠谷町37-1)がある。 正門から構内に入ると, すぐ正面に白い発祥碑が建っている。
慶応3年(1867) に神戸港が開かれてから 神戸の町は急速に都市化し, それまで井戸水に頼っていた 生活用水が不足してきた。また 1877(明治10)年ごろから コレラなどの伝染病がたびたび流行し, 衛生上の理由から 上水道創設の必要性が叫ばれるようになった。
明治33年(1900) に お雇い外国人技師 バルトンの計画をもとに, 布引貯水池を水源に 「北野浄水場」と「奥平野浄水場」が作られた。これが 神戸市の水道の発祥であり, これは 日本で7番目の近代水道になる。
W・K バルトンは, 上下水道技術者としてイギリスで活躍し, 明治20年(1887) 31歳の時, 明治政府の招聘で来日し, 帝国大学工科大学の初代教授として多くの水道技術者を育成する一方, 内務省衛生局の顧問技師として 東京をはじめ全国主要都市の上下水道計画の基礎を作り上げた人物。写真家としても有名で, 日本の写真界の振興と技術の向上・海外への日本文化の紹介にも大きく貢献。 日本最初の高層タワー『浅草十二階』の設計者としても知られている。
日本全国の都市で バルトンが関係したの上水下水計画は,
函館/仙台/東京/横浜/名古屋/京都/大阪/神戸/福岡/長崎……
など数えきれない。
写真
碑文
神戸水道発祥の地
給水開始百周年を記念して
平成12年4月神戸市長 篠山幸俊
神戸の水道は, 明治33年(1900年)4月1日 に布引貯水池を水源とし 北野浄水場と奥平野 浄水場において給水を開始しました その後 給水区域の拡張を重ね 市民生活の向上と神戸 市発展の礎となってきました この間 水害 戦災 震災等幾多の苦難を乗り越え今日に至っ ています 神戸水道の百周年にあたり 先人達 の努力に感謝するとともに 今後の水道事業の 発展を願い この碑を建立するものです
この笠石とレンガは、創設時の北野浄水場ろ過池に使われていたものを再利用しています。記念碑石は大容量送水管の住吉川立坑建設現場から出たものです。