耕地整理 発祥の地

こうちせいりはっしょうのち

東海道本線 袋井駅から南西に3km。東海道新幹線の南,彦島公会堂の西に広がる田んぼの中。蟹田川にかかる彦島大橋のたもとに「耕地整理発祥の地」と書かれた 黒御影石の石碑が建っている。

この碑は,明治時代に 日本で最初の耕地整理を成功させたと言われる名倉太郎馬を顕彰して,平成24年(2012) 6月に建立された,できたてホヤホヤの記念碑である

この地 旧彦島村は,太田川水系の蟹田川の氾濫によって頻繁に水害を受ける貧しい村であった。

太郎馬は 天保11年(1840) に袋井に生まれ,22歳の時に彦島村の名倉家の養子となり,地域の農家のリーダーとして活躍した。明治4年(1871) に 二宮尊徳の報徳思想に基づく“彦島報徳社”を設立。米の収穫量を増やすために“すじ植え”という方法を推奨され,そのためには田の形状を整えることが必要と考え,明治5年(1872) に 試験的に5反歩余りの水田で,畦道を直線化し すじ植えをしたところ,農作業が能率化され 収穫量が増えることが実証された。

明治8年(1875),水田所有者の権利利害を調整し,官費を借り入れて 蟹田川の流路変更のための開削工事 及び彦島村全体33haの道路・畦畔の直線化,用水排水路の整備等の改良工事を内容とする集団的区画整理事業に着手,これを完成させた。太郎馬の活動は,耕地整理に留まらず,家庭生活や風習の改善から 稲作技術や農閑期の副業(稲ワラ加工,養蚕など)の導入にまでおよび,明治44年(1911)に72歳で生涯を閉じるまで地域のための活動が続いた。

名倉太郎馬らが実施した耕地整理は“静岡式”と呼ばれ、近隣はもちろん 日本全国で手本とされ,明治32年(1899)に法制化される“耕地整理法”へと発展していった。

写真

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碑文

耕地整理発祥の地

名倉太郎馬没後百年記念事業実行委員会
平成二十四年五月建立

地図

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袋井市彦島 付近 [ストリートビュー]