馬田 発祥の地

まだはっしょうのち

 
撮影:
2025年3月(写真 まさ・なち さん)

甘木鉄道 高田駅から南へ450m、または西鉄 甘木線 馬田駅から西へ1km、キリンビール福岡工場団地の北東隅の一角が馬田発祥公園となっている。道路端に「入口」碑があり、通路を進むと階段上に発祥の石標、園内には立派な石碑が建てられている。旧馬田村の起源を示す歴史的な場所であり、現在は「馬田発祥公園」として整備されている。
この地域では、縄文時代から弥生時代、中世にかけての遺物や住居跡が発見されており、古代より人々が定住していたことが確認されている。公園内には石碑が設置されており、この石碑は古墳時代の石棺の一部を転用して建てられたものである。
この石には「りんりん石」という伝説が残されている。
かつて村人がこの石を庭石として自宅に持ち帰ったところ、夜な夜な哀しげな音を発したため、不気味に思った村人が元の場所に戻したという逸話が語り継がれている。
馬田村は昭和29年(1954) に周辺の町村と合併して甘木市となり、平成18年(2006) にはさらに合併により朝倉市の一部となった。現在では、馬田郵便局の風景印にもこの石碑が描かれており、地域の歴史と文化を象徴する存在となっている。

写真

  • 馬田発祥之地 副碑 碑文
  • 馬田発祥之地
  • 馬田発祥之地
  • 「りんりん石」の由来について

碑文

馬田発祥之地

この馬田原一帯より縄文弥生古墳の三期にわたる多数の遺物や弥生中期の住居址が発掘された
けだし馬田郷発祥の地というべきであろう
この碑はこの地の古墳に使用されていたものでリンリン石という伝説をもって親しまれている

馬田まだ発祥公園はっしょうこうえん
「りんりん石」の由来由来について

紀元前きげんぜん百五十年の弥生時代のころすでにこの地域一帯ちいきいったいに かなりの住居群じゅうきょぐんがあったもようで、後年ここから多くの住居あとが見つかった。
さらには このあたりには、かなり大きな古墳こふん石棺せっかん)群もあり、それらは時の流れと共に風化ふうかされ石棺の一部がさらされていた。
ある時、村人が わが家の庭石にわいしにと持ち帰ったところ、な夜な「リンリン」とかなしげな音をだすので、あわててもとの場所に返したという。

後に この石を だれと言うとなく「りんりん石」と呼ぶようになった。

最近になって この地を 馬田町発祥の地であるとして公園化し、地域の人々のいこいの場としてしたしまれている。

平成十四年三月佳日

馬田地区振興会

地図

地図

朝倉市馬田 付近 [ストリートビュー]