水海道 游泳会 発祥之地

みつかいどうゆうえいかいはっしょうのち

関東鉄道常総線 水海道みつかいどう駅から北西600mに,鬼怒川に架かる豊水橋がある。国道354号をこの橋の手前“豊水橋東”交差点で南に曲がると,川側に石畳のちょっとした広場 親水公園(常総市水海道元町3454)があり,その端に「水海道游泳会発祥之地」の碑がある。

「水海道遊泳会」は,水海道町(当時)で“水府流水術”の普及と子供たちの水泳技術のための水泳講習会。尋常・高等小学生を対象にして,鬼怒川に架かる豊水橋の下に“水場”(練習のための場所)を設けて,1906(明治39)年から 夏休み期間中に開催された。

これ以前は きまった流儀によらない“ドベドン”と呼ばれる“カエル泳ぎ”で泳ぐ者があったが,見よう見まねに覚えたもので,川で溺れる子供が少なくなかった。これを憂いた旧制高等学校の生徒が小学校の教師と共に遊泳会を始め,正しい泳法を教えて技術の向上をはかった。一通り泳ぎが上達すると,鬼怒川を往復する“川越試験”が行われ,これに成功すると “川越免状”が与えられた。

遊泳会は成功し,これにならって 近隣の数か村にも広がって,水府流が普及していった。 しかし年を経るにつれて 指導者の教師たちが異動あるいは退任して.運営に支障をきたすようになり,また第2次世界大戦の影響により遊泳会は中止となった。戦後 再興の動きが起き,1951(昭和26)年に遊泳会が行われたが,指導者不足・新しい泳法の普及・学校プールの整備など 環境の変化に伴い,自然消滅した。

“水府流水術”とは,水戸藩において 17世紀末(元禄時代)におこった,古式泳法の一流派。泳ぎ方は 熨斗のしおよぎ(=伸泳)を基本として,抜き技等多くの泳ぎ方がある。日本独特の泳ぎ方で,武術の一種として行われ 速く泳ぐことが目的ではなかったため,現代の水泳法に比べると非常に効率の悪い泳ぎ方だが,長時間疲れず 静かに泳ぐことができ,殿様の前で披露することが多かったため,優雅さもあった。

明治時代になると学校教育にも採り入れられたこともあり,各地に普及した。現在は古式泳法の一つとして“水府流水術協会”が伝統の維持と普及に努めている。

写真

  • 水海道游泳会発祥之地
  • 水海道游泳会発祥之地 背面

碑文

水海道游泳会発祥之地

水海道水府流水術協会

百周年記念 平成十八年八月建立

地図

地図

常総市水海道元町 付近 [ストリートビュー]