武蔵野女子学院発祥の地

むさしのじょしがくいんはっしょうのち

地下鉄日比谷線 築地駅そば、浄土真宗本願寺派 築地本願寺(中央区築地3丁目15-1)境内の都道50号新大橋通りに面した場所に、令和6年(2024) に石碑が設置された。

大正12年(1923) に発生した大混乱により、緊急的な教育の場の確保が必要だった。仏教学者 高楠順次郎は、赤十字が築地本願寺境内に設置した臨時救護所の建物を再利用し、大正13年(1924) に武蔵野女子学院を創立した。

もともと武蔵野の地を理想的な教育の場と考えていたものの、震災により学校建設に適した広い土地を取得することが困難だった。創立から5年間は築地の仮校舎で、昭和4年(1929) に現在の武蔵野キャンパスの地(当時は東京府北多摩郡保谷村新町)に移転した。

なお、中学・高校は「武蔵野大学中学校・高等学校」のことであり「武蔵野中学校・高等学校」とは関係が無い。

写真


碑文

武蔵野女子学院
発祥の地

学校法人武蔵野大学
創立100周年記念
2024

一九二四(大正一三)年、此地に学祖高楠順次郎博士を学院長として武蔵野女学院が創設された。
一九二九(昭和四)年、保谷村(現・武蔵野キャンパス)に移転するまでの草創期ここに所在した。
一九四五(昭和二〇)年、千代田女子専門学校が本学院内に移転され、初代武蔵野女子短期大学となる。
一九五一(昭和二六)年、学校法人武蔵野女子学院となる。
二〇一二(平成二四)年、学校法人武蔵野大学と改称され、有明キャンパスが開設された。
二〇一六(平成二八)年、学校法人千代田女学園との合併により、千代田キャンパスが開設された。

本年、創立百周年を迎え、多大なるご恩に感謝し、学院発祥の地にこの碑を建立する。

二〇二四年五月

学校法人武蔵野大学

舟雲廣瀨裕之書
大川等刻

地図

地図

中央区築地3丁目 付近