南部杜氏 発祥之地

なんぶとうじはっしょうのち

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撮影:
どなたか見てきてください!

岩手県紫波郡紫波町上平沢馬場、岩手中央農協 上平沢出張所跡地(城戸醤油向かい)、平成22年(2010) 建立

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写真


碑文

南部杜氏発祥之地

由来

紫波町は、文献や歴史家の研究によっても、南部杜氏発祥の地と言われております。
千六百七十八(延宝六)年近江商人 村井権兵衛がこの地で酒造りを始めて以来千九百二十四(大正十三)年に廃業するまで、実に二百四十九年もの長い間、権兵衛酒屋として栄え、ここて技術を習得した蔵人は文化年間から冬期間仙台領で酒屋働きをしました。この人々は、南部流活造り技術を持つ南部杜氏として全国にその名が知られるようになりました。
以来、全国各地で活躍した南部杜氏の会員は最盛期の昭和三十四年には三千三百余名を超え、昭和四十九年には紫波町の会員が千四十八名を数えるにいたりました。
しかし、時代の趨勢と共に造り酒屋の数は少なくなり、同時に会員数も減少の一途を辿り現在では百五十名
を割る状況となりました。
この度、紫波町杜氏連合会のご推薦により南部杜氏発祥の地記念碑建設委員会を立ち上げ、紫波町をはじめ多くの関係者のご協力により、茲に 南部杜氏発祥の由縁を記し、先輩杜氏の活躍を顕彰し南部社氏の発展を祈念して之を建立します。

平成二十二年(二千十年)六月吉日

南部杜氏発祥の地
記念碑建設委員会

揮毫
紫波町長 藤原 孝
金濱律子
施工
有限会社 紫波石材

村井家の略歴

村井権兵衛家の祖は近江の国(滋賀県)高島郡大溝の小野家に生まれ、千六百六十二〜三(寛文二〜三)年ころ、盛岡の近江商人村井新七を頼って盛岡にくだり、茲に草鞋を脱いで村井姓を名乗った。
砂金の買い集めなどを行ったが、千六百七十六(延宝四)年に八戸藩の上平沢村川原町に移住して独立した。
翌年、八戸藩に酒造業を願い出て酒造りを初めて以来、千九百二十四(大正十三)年に廃業するまで二百四十九年間、権兵衛酒屋として酒造業を行った

歴史家 藤原隆男

ここ草鞋わらじを脱いで」とか、文学的でいいですね。

地図

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