日本酒 発祥の地

にほんしゅはっしょうのち

画像求
撮影:
どなたか見てきてください!

ぬくゐの泉にて、麹が付いたので酒を醸したという播磨国風土記の記述により、宍粟《しそう》市は「日本酒発祥の地宍粟市日本酒文化の普及の促進に関する条例」を平成26年(2014) に制定した、という趣旨の表示があるのだが、「発祥」と付いても条例名を示しているだけなのでコレクション入りは難しい……。と思っていたが、駐車場への案内にはビシッと書いてある。道筋にもいくつか表示が設置されたようだ。

もちろん、境内「ぬくゐの泉」等にもちらちら表示があるようなので、実際に訪問したら、道端の表示ではなく、境内の表示がコレクション入りするのだろう。

播磨国風土記の記述によると、伊和大神が乾飯《ほしいい》を川に浸して柔らかくなるのを待っていたところ、黴が生え、そこから酒ができたという伝承が残っている。この場所が庭田神社の近くを流れる「ぬくゐ川」だとされ、日本で初めて酒が造られた場所として伝えられてる。

また、この地で初めて麹を使った「庭酒《にわさけ》」がつくられ、神様に献上されたことを示す記述も残されているとのこと。

県道8号を北上し、庭田神社への曲がり角に案内標識として表示されているようだが、条例発布にあわせて設置されたらしく、それ以前のストリートビューしかないのでストリートビューでは確認できない。

また、当地から3kmほど南西に戻った、国道29号から県道8号への曲がり角 東市場交差点の商店前の看板の一部にも同様の表示が見られる。

お参りにお出かけの方は、ぜひ写真をご提供いただきたいです。

写真


碑文

日本酒発祥の地

庭田《にわた》神社

庭田神社《にわたじんじゃ》のぬくゐの泉と造酒《ぞうしゅ》

庭田神社は、平安時代の延長《 えんちょう》五年(九二七)に成立した「延喜式《えんぎしき》」神名帳《じんみょうちょう》の宍粟郡七座《しちざ》のうちに数えられる古社で、古代・中世には播磨国《はりまのくに》一宮《一宮》伊和神社《いわじんじゃ》と深い繋がりがありました。現在、神社の背後に玉垣をめぐらした清らかな湧き水「ぬくゐの泉」がありますが、かつて庭田神社の氏子には、宵宮祭《よいみやさい》の当日早朝に家々で醸した白酒を神前に供え、五穀豊穣を祈る風習があったそうです。和銅《わどう》六年(七一三)五月に編纂の命令が下り、平成二十七年(二〇一五頃)に編纂完了から一千三百年を迎える『播磨国《はりまのくに》風土記《ふどき》』には、造酒に関わるおもしろい伝承が多く記載されています。

なかでも宍粟郡《しそうのこおり》比治里《ひぢのさと》庭音村《にわとのむら》の条には、次のとおり記されています。

庭音《にはと》村。〔本の名は庭酒《にはき》なり。〕大神《おおかみ》の御粮《みかれひ》枯れて糆生《かむた》ちき。即ち、酒を醸《か》ましめて庭酒《にはき》を献りて宴《うたげ》しき。故《かれ》、庭酒の村と曰《い》ふ。今の人、庭音村と云《い》ふ。
(『播磨国風土記』山川出版社)

[大神の粮(糒)《ほしいい》に糆(糀)《こうじ》が生えたので、酒を醸造し、神酒《みき》として大神に奉ったので、庭酒《にわき》の村といったが、今の人は庭音《にわと》の村という。(現代語釈)]

また郡末《ぐんまつ》の伊和村条《いわむらじょう》には、次のとおり記されています。

伊和《いわ》村。〔本の名は神酒《みき》なり。〕大神《おおかみ》、酒を此《こ》の村に醸《か》みたまひき。故《かれ》、神酒《みき》村と曰《い》ふ。又、於和《おわ》村と云う。大神、国作《くにづくり》訖《お》へたまひて以後《のち》に云ひたまひしく、「おわ。我《あ》がみきに等し」といいひたまひき。(『播磨国風土記』山川出版社)

[大神が酒をこの村で醸造したので神酒《みき》の村という。一説には於和《おわ》村というが、それは(伊和)大神が国づくりを終えられ、「(国づくりは)終わった。私の神酒と同じくらいよくできた」とおっしゃった。(現代語釈)]

というようなお話です。
これらの由緒をもって、平成二十五年に宍粟市《しそうし》は、日本酒による「乾杯」の習慣を広めることで氏の歴史と伝統・文化を後世に継承し、地域の振興及び発展に寄与していくことを目的として、「日本酒発祥の地宍粟市日本酒文化の普及の促進に関する条例」を制定しました。

平成二十六年三月

地図

地図

庭田神社 付近 [ストリートビュー]