日本酒 発祥の地
にほんしゅはっしょうのち
ぬくゐの泉にて、麹が付いたので酒を醸したという播磨国風土記の記述により、
もちろん、境内「ぬくゐの泉」等にもちらちら表示があるようなので、実際に訪問したら、道端の表示ではなく、境内の表示がコレクション入りするのだろう。
日本酒発祥の地、庭田神社。
— くろふね (@_Kurofune_) November 13, 2022
昨日前を通って必ずお参りしなくてはと早め撤収してきました。
こういう静かな所好きです。 pic.twitter.com/OWMaViDZM9
播磨国風土記の記述によると、伊和大神が
また、この地で初めて麹を使った「
県道8号を北上し、庭田神社への曲がり角に案内標識として表示されているようだが、条例発布にあわせて設置されたらしく、それ以前のストリートビューしかないのでストリートビューでは確認できない。
また、当地から3kmほど南西に戻った、国道29号から県道8号への曲がり角 東市場交差点の商店前の看板の一部にも同様の表示が見られる。
日本酒発祥の地とあったので寄ってみた https://t.co/qbDcsFNrLZ
— ジェーネ (@geeeene_7333) October 3, 2026
日本酒発祥の地・庭田神社に来ました。御朱印も貰いました。 pic.twitter.com/s6SX43j0E2
— ミクたん (@rurushakudo) August 23, 2020
お参りにお出かけの方は、ぜひ写真をご提供いただきたいです。
写真
碑文
日本酒発祥の地
庭田 神社
庭田神社 のぬくゐの泉と造酒 庭田神社は、平安時代の
延長 五年(九二七)に成立した「延喜式 」神名帳 の宍粟郡七座 のうちに数えられる古社で、古代・中世には播磨国 一宮 伊和神社 と深い繋がりがありました。現在、神社の背後に玉垣をめぐらした清らかな湧き水「ぬくゐの泉」がありますが、かつて庭田神社の氏子には、宵宮祭 の当日早朝に家々で醸した白酒を神前に供え、五穀豊穣を祈る風習があったそうです。和銅 六年(七一三)五月に編纂の命令が下り、平成二十七年(二〇一五頃)に編纂完了から一千三百年を迎える『播磨国 風土記 』には、造酒に関わるおもしろい伝承が多く記載されています。なかでも
宍粟郡 比治里 庭音村 の条には、次のとおり記されています。
庭音 村。〔本の名は庭酒 なり。〕大神 の御粮 枯れて糆生 ちき。即ち、酒を醸 ましめて庭酒 を献りて宴 しき。故 、庭酒の村と曰 ふ。今の人、庭音村と云 ふ。
(『播磨国風土記』山川出版社)[大神の粮
(糒) に糆(糀) が生えたので、酒を醸造し、神酒 として大神に奉ったので、庭酒 の村といったが、今の人は庭音 の村という。(現代語釈)]また
郡末 の伊和村条 には、次のとおり記されています。
伊和 村。〔本の名は神酒 なり。〕大神 、酒を此 の村に醸 みたまひき。故 、神酒 村と曰 ふ。又、於和 村と云う。大神、国作 訖 へたまひて以後 に云ひたまひしく、「おわ。我 がみきに等し」といいひたまひき。(『播磨国風土記』山川出版社)[大神が酒をこの村で醸造したので
神酒 の村という。一説には於和 村というが、それは(伊和)大神が国づくりを終えられ、「(国づくりは)終わった。私の神酒と同じくらいよくできた」とおっしゃった。(現代語釈)]というようなお話です。
これらの由緒をもって、平成二十五年に宍粟市 は、日本酒による「乾杯」の習慣を広めることで氏の歴史と伝統・文化を後世に継承し、地域の振興及び発展に寄与していくことを目的として、「日本酒発祥の地宍粟市日本酒文化の普及の促進に関する条例」を制定しました。平成二十六年三月
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