名寄 スキー競技 発祥の地
なよろすきーきょうぎはっしょうのち
宗谷本線
寺の山門左側の塀の外れに、名寄市教育委員会が建てた看板があり、山門を入って左奥に発祥碑がある。 名寄のスキー競技発祥の地に関する資料は、あまり多く見られない。詳しくは碑文を参照されたい。
写真
碑文
名寄スキー競技發祥の地
名寄市教育委員会
碑によせて
法弘寺開基住職佐々木隆興和尚は夙にスポーツ振興の念篤く就中青少年の育成を専としレルヒ少佐 伝授のスキー技術を以て当地方に於ける斯界の先鞭をつけた 即ち氏の地この境内こそ和尚によって教義の第一歩を記した歴史の地である
大正三年雪新たなる一月十一日のことである 茲に碑を建てその功を顕し後世に伝えんと欲うものである昭和六十年八月七日
法嗣 隆秀誌之
名寄「スキー競技発祥の地」
北海道に本悪的なスキーがもたらされたのは、明治45年にオーストリアのレルヒ中佐が旭川で行ったスキー講習会からと言われております。
名寄では大正2年ころから主に冬の郵便集配業務にスキーが使用されました。
このころのスキーは“一本杖スキー”とも言われ、ストックの代わりに長い一本の棒を持ってバランスをとるという滑り方でありました。
このころ、法弘寺初代住職であった佐々木隆興師は、旭川で見聞したこのようなスキーが積雪地方には大変便利であると考え、その普及につとめる一方、大正3 年に法弘寺のこの境内を会場として「名寄青年スキー大会」を開催しました。この大会が名寄で最初のスキー競技であったわけです。
以来スキーは恵まれた自然や雪質によって学校の授業や一般の人々にも広く受け入れられ、数々の名選手も誕生しました。今日ではビヤシリスキー場も整備さ れ、昭和54年には第34回国民体育大会冬季大会スキー競技会が開催されるとともに、歩くスキーの普及など年毎にスキーに親しむ人々が増えてきております。
昭和54年名寄市はスキーを市技に指定しております。
昭和60年10月
名寄市教育委員会