新潟市 市民水泳 発祥之地
にいがたししみんすいえいはっしょうのち
越後線 白山駅から北に1.5km。護国神社の広大な敷地の北端にある大鳥居から 木立の中を西に回り込むと“ミューズ”というレストランがある。このレストランの南側にある芝生の小広場に茶色の石碑が建っている。
江戸時代 四国・伊予松山藩に“神伝流”と称する古式泳法が伝わっていた。ここで神伝流を学んだ者が江戸で道場を設け水泳を指導したため,神伝流は全国に広まった。
明治32年(1899) に村山正臣氏が新潟において“神伝流自然派”を開き,この地から100mほど北西の寄居浜に“学校特設水泳科”という水泳場を開設して,新潟高等小学校の児童を指導した。これが新潟県における水泳教育のはじまりである。
この発祥碑は,新潟で最初の水泳場が開所されたことを記念して昭和32年(1957) に建立された。近くの西海岸公園の市営プールには 村山正臣氏の顕彰碑が建っている。
写真
碑文
新潟市
市民水泳発祥之地新潟市水泳協会々長
小沢辰男書
新潟市寄居浜は「学校特設水泳科」設立の創始地であり明治三十二年七月三代市長八木朋直殿臨席の下に日本泳法神傳派自然流開祖蟄龍村山正臣先生が水泳師範となり最初の水泳場の開所式が挙行され新潟市に於ける海の水泳の歴史が始まったのであります
昭和三十九年十月
神傳派自然流師範
騠龍 柳 平朔