日本 バプテスト 発祥の地
ばぷてすとはっしょうのち
横浜 元町から山手の“代官坂上”交差点に上る代官坂の途中、東側の崖の中程にこの石碑が建っている。この崖はこの碑のある部分だけが建物もなく石垣も積まれておらず、草ぼうぼうになっているのが印象的であった。
天文18年(1549) にフランシスコ・ザビエルによって日本に初めてカトリック キリスト教が伝えられたが、やがて禁教令が出され、鎖国の時代に入った。幕末の開国によって外国人が来日するようになると、再びキリスト教宣教師たちがカトリック教会・プロテスタント諸教派・正教会などの教会を建てた。
米国人バプテスト宣教師ネーサン・ブラウンとジョナサン・ゴーブル両夫妻は、明治6年(1873) 横浜外国人居留地の山手75番地 に日本バプテスト横浜教会を設立した。これは日本における最初のバプテスト教会であり、日本で2番目のプロテスタント教会。
しかし火災で焼失し、明治27年(1894) に代官坂途中のこの碑がある場所に再建、大正12年(1923) に現在地寿町に移転した。明治17年(1884) には横浜バプテスト神学校(現在の関東学院)が創立されている。
バプテスト教会はプロテスタント教会の一教派で、日本には現在300余りの教会があると言われる。
【リンク】日本バプテスト横浜教会
写真
碑文
日本バプテスト發祥の地
明治六年二月七日ネーサンブラウン博士
来朝此ノ地ニ布教本據ヲ置ク