日本 ロケット 発祥 記念之碑

にっぽんろけっとはっしょうきねんひ

羽越本線 道川駅の北約700m。国道7号に碑の存在を紹介する看板あり。ここから30m程海岸方向に入ると大きな石碑が建っている。碑の中央にペンシルロケットの図が描かれている。

ここは道川海岸と呼ばれるが、海まで200mある、勝手川の河口南側。

昭和30年(1955)8月6日、東京大学生産技術研究所の糸川英夫博士が、この地の道川海岸でペンシルロケットの水平発射実験を日本で初めて行った。

この実験は、当時適用されていた法律による打ち上げ角度の制限を回避するため、水平発射という方法がとられた。これにより、日本における固体燃料ロケットの研究開発が本格的に始まった。道川海岸が選ばれたのは、実験を行うのに適した広大な砂浜があったからである。

糸川博士が開発したペンシルロケットは、全長約23cm、直径約1.8cmと非常に小型であった。この実験の成功が、その後の日本の宇宙開発の大きな一歩となった。

この功績を称え、昭和54年(1979)に「日本ロケット発祥記念之碑」が建立された。

写真

  • 日本ロケット発祥記念之碑 石の日興ストーン
  • 日本ロケット発祥記念之碑 背面(無地)
  • 日本ロケット発祥記念之碑
  • 日本ロケット発祥記念之碑
  • 日本ロケット発祥記念之碑 道路標識
  • 日本ロケット発祥記念之碑 道路付近から望む

碑文

日本ロケット発祥記念之碑

昭和三十年八月六日国産初のペンシルロケットが東京大学生産技術研究所によってこの海岸で打ち上げられた。昭和三十二年七月から昭和三十三年まで実施される国際地球観測年に参加するための予備実験であった。
以来昭和三十七年五月のカッパ8型十号ロケットまで七年間に八十機余のロケット実験が行われた。最初のロケットは全長二十三センチメートル、高度六百メートルであったが、昭和三十六年打ち上げの三段式ロケットカッパ9L型機は全長十二、五メートル、高度三百五十キロメートルと長足の進歩を遂げた。
世は正に宇宙時代、宇宙への夢はさらに大きく膨らむであろう。日本の宇宙時代の夜明けとなったロケット発祥の地道川海岸を永く後生に伝えるため岩城町誕生三十周年を記念しこの碑を建立する。

昭和六十年七月吉日 岩城町長 前川盛太郎

地図

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由利本荘市岩城勝手 付近 [ストリートビュー]