千葉市は 日本の ロケット 研究 発祥の地

ちばしはにっぽんのろけっとけんきゅうはっしょうのち

総武線 西千葉駅 北口を出てすぐ左手に、高さ2mほどの芸術的な造形の石碑がある。石碑は地球から飛び出すロケットをイメージしているものと思われる。

各地に、宇宙開発的文脈におけるロケット発祥の地碑がある。

これらの最初の最初の研究は、東京大学生産技術研究所で糸川英夫博士らによって始められた。研究所はこの西千葉駅北口の目の前の弥生町(現在の千葉大学西千葉キャンパス内)にあった。ちなみに現在の研究所は東京駒場にある。

NPO法人「ちばサイエンスの会」が400名余からの寄付金で制作、平成29年(2017) 11月16日建立し、21日に市に寄贈。御影石の彫刻は、市内の彫刻家 青木三四郎。

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  • 千葉市は日本のロケット研究発祥の地 背面 説明
  • 千葉市は日本のロケット研究発祥の地 西千葉駅北口
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碑文

千葉市は日本の
ロケット研究
発祥の地

千葉市は日本のロケット研究発祥の地

現在の千葉大学西千葉キャンパスには、かつて東京大学生産技術研究所がありました。1954年、生産技術研究所の教官・糸川英夫博士が中心となり、観測ロケットの研究に着手、日本のロケット開発研究が始まりました。そして、直径1.8cm、長さ23cm、重さ200gの我が国最初の国産ロケット「ペンシルロケット」が誕生し、1955年4月、東京都下の国分寺にて、公開水平発射実験が行われました。

同年6月より、後の大型ロケット基礎研究として、2段式ペンシル等が作られ、当時の生産技術研究所に所在した長さ50mの船舶用実験水槽を改修し、水平発射実験が繰り返されました。同年8月、秋田県道川海岸に於いて、ペンシル300ロケットをもちいて、本邦初めての上空への発射実験が行われ、その後も様々な燃料開発や燃焼実験が、千葉市の東京大学生産技術研究所で続けられ、これらの基礎研究が日本の大型ロケットへの開発につながっていきました。

第二次世界大戦後、自信を喪失した日本で、糸川英夫博士を中心に、ロケット開発研究という、早大で夢あふれる事業が、ここ千葉市を最初の拠点として始まったのです。よって、千葉市は日本のロケット研究発祥の地と言うことができます。この輝かしい科学の歴史的な地を、郷土の誇りとして後世に継承するため、ここに記念碑を建立しました。

2017年吉日 千葉市

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