日本 地質学 発祥の地
ちしつがくはっしょうのち
秩父鉄道
この地が「発祥の地」と呼ばれる由来は碑文に書かれている。
碑の近くにある 自然史博物館が建てた説明板によると, この記念碑に使われた石は, 「『赤鉄石英片岩』と呼ばれる この地域一帯に薄く広く分布する石」で, 「碑は 岩石の自然の割れ目をうまく利用して, 前後は『
【リンク】地球の窓「長瀞」 日本地質学発祥の地
写真
碑文
日本地質学発祥の地
埼玉県知事土屋義彦書
由来の記
荒川が刻んだ景勝地長瀞は、広い岩畳や色とりどりの変成岩がみられ、早くも大正十二年には国の名勝・天然記念物に指定された。
ここに分布する変成岩は、三波川結晶片岩と呼ばれ、西日本地域にかけて帯状に分布しており、日本列島の根幹をなすものである。
明治十年東京大学に地質学科が創設され近代地質学が初めて日本に導入されると、翌年には、初代教授ナウマン博士が長瀞を調査している。以来、長瀞一帯は、我が国地質学上の重要な研究拠点となり、多くの地質学者を育てて、日本地質学発祥の地と云われるようになった。
彩の国元年である本年は、日本地質学会が発足して百周年を、さらに、長瀞町が町村合併五十周年を迎えた。折しも、由緒あるこの長瀞の地に、天皇・皇后両陛下が行幸啓された。
これらを祈念して「日本地質学発祥の地」の碑をここに建立する。平成五年十二月
埼玉県
長瀞町
「発祥の地」の由来
明治10年東京大学に地質学科が創立され, 近代地質学が初めて日本に導入されると翌年には, 初代教授ナウマン博士が長瀞を調査している。以来長瀞一帯は, 我が国地質学上重要な研究の拠点となり, 多くの地質学舎を育て, 日本地質学発祥の地と言われるようになった。