日本 磁器 発祥の場所
にっぽんじきはっしょうのばしょ
佐世保線 上有田駅から500mほど北東の「泉山磁石場跡」に建てられた案内板に「日本磁器発祥の場所」と書かれている。
有田は焼き物の町。日本の多くの焼き物は陶器であるが、有田焼・九谷焼などは磁器である。
陶器が粘土を原料とするのに対し磁器は“陶石”を粉砕して水で練って使用する。また磁器は陶器と比較して、硬く、吸水性がなく、透光性があり、素地の色は白い。
有田焼とは有田町およびその周辺で生産された磁器の総称で、伊万里港から船積みされて輸出されたために「伊万里焼」と呼ばれることもある。
16世紀末に豊臣秀吉が朝鮮出兵した際、朝鮮半島から多くの陶工達が渡来し、その一人李参平が有田で良質の陶石(白磁鉱)が得られる“泉山陶鉱場”を発見した。有田皿山に日本で初めて磁器の窯が造られ、これが有田焼(日本における最初の磁器)の発祥とされている。
17 世紀中ごろからヨーロッパに向けて有田焼の輸出が始まり、“有田焼”は広く海外に知られるようになった。有田焼は染付などの手法により、「古伊万里」、 「柿右衛門」、「鍋島」の3系統の様式に大別されるが、一般には伊万里と柿右衛門様式が出回り、海外では「イマリ」という名が有名である。
上有田駅前に「有田-日本磁器発祥の地」と書かれた磁器タイルで作られた大きな案内板がある。
【関連】有田日本磁器発祥の地
写真
碑文
泉山
磁石場跡鐘ヶ江三兵衛(李参平)が
白磁鉱を発見以来,
四百年堀り続けられてきた
まさしく日本磁器
発祥の場所である。
江戸時代は「土場」といい,
明治以降は「磁石場」
というが, 一般に
「石場」(いしば)と
よばれている。