日本 少年 サッカー 発祥の碑(魚町稲荷)

にっぽんしょうねんさっかーはっしょうのち

東海道線 清水駅から西に600m。清水江尻小学校の南に隣接して魚町稲荷神社(静岡市清水区江尻町14-74)がある。社殿に向かって左手前に,直径1.5mほどの 御影石製のサッカーボールのオブジェが置かれ、台座には「日本少年サッカー発祥の碑」と刻まれて,横には由来を記した副碑が建っている。

清水市(現 静岡市清水区)は国内で有数の“サッカー王国”として有名であり, J1清水エスパルスの本拠地でもある。かつて静岡県内で“サッカーの町”といえば藤枝市だった。 藤枝は 清水よりずっと以前からサッカーが盛んであり,清水は常に“藤枝に追いつけ追い越せ”を目標にしていた。

遅れて出発した清水のサッカー活動の特徴は,市民のサッカー熱が非常に高く組織化されていたことにある。 年令ごとにチャイルド(入学前の子供)から 小・中・高・社会人まで 各層ごとに組織されていて,ママさんチームまでが毎年リーグ戦を行なっている。

サッカー育成のためのインフラを長期に渡って整備して来たことも挙げられる。 たとえば 市内の小中学校やグラウンドには 夜間照明が整備されている。

少年サッカーの活動に関しては碑文に書かれている通り,江尻小学校に赴任した教師の努力によるところが大きい。昭和31年(1956)に 日本で初めての小学校のクラブ活動としてのサッカーチームが結成され, その後 徐々に近隣の小学校にチームが結成されていった。 昭和42年(1967)になって江尻小学校など数校の生徒から選抜した “オール清水”チームが結成され,全国で圧倒的な強さを誇った。

なお この発祥碑のほかに,藤枝市には「サッカー少年団発祥の地」の碑がある。

清水市は 平成15年(2003)に静岡市と合併し,静岡市清水区となった。

写真

  • 日本少年サッカー発祥の碑
  • 日本少年サッカー発祥の碑 説明
  • 日本少年サッカー発祥の碑

碑文

日本少年サッカー発祥の碑

日本少年サッカー発祥の碑

 昭和三十年代,日本のサッカーは,いわゆる御三家と呼ばれた広島・ 藤枝・浦和を中心に展開していました。その頃清水は,どこにでも見られるごく平凡な地域のひとつにすぎませんでした。
 昭和三十一年,ここ魚町稲荷神社に隣接する江尻小学校にサッカー好きの新任教師(堀田哲爾)が赴任しました。その日から先生は子供達と毎日運動場でボールを蹴りました。ところが,当時江尻小学校には“ボールを,足で蹴ってはいけない”という校則がありました。 しかしサッカーの魅力にとりつかれた子供達の様子を見て,校長先生も許可をしたのです。
 これが,『日本で初めての少年サッカーチーム』を生むきっかけになりました。
 文部省小学校学習指導要領第三次改定(1968年)体育科のボール運動に“サッカー”が登場する十二年も前のことです。
江尻小を皮切りにその後,清水市内に小学生チームが次々と誕生し,昭和四十二年には,『国内初の小学生リーグ』がスタート,指導者育成の為コーチングスクールも開校されました。
 この年,東海四県サッカー大会が開催され,日本一のチームをつくる一貫として,清水市内の江尻小・入江小・庵原小の子供を集め選抜チームを結成し,優勝をかざりました。これが清水FCの前身です。
 清水からは数多くのJリーガー・日本代表選手が生まれ活躍しています。それは当時の指導者達が長期的な視野にたち,世界に通用する日本一の少年団チームを育成強化したからです。その後もサッカーに関わる多くの方の献身的な活動・努力により“サッカーのまち清水” ができあがりました。
 現在では『ゆりかごから息続くまで』を合い言葉に,三歳のチャイルドサッカーから,年輩の方のOBリーグまで,あらゆる年代の人達が“いつでも,どこでも,誰とでも”清水市のどこかでサッカーを楽しんでいます。
 この碑は当地が清水のサッカーを発展させた原点の一つであり,日本の少年サッカーチーム発祥の地である事を記念して創られました。

平成十一年十一月十一日
日本少年サッカー発祥の碑を創る会

地図

地図

清水区江尻町 付近 [ストリートビュー]