おけさ 発祥之地
おけさはっしょうのち
越後線 出雲崎駅から西方。尼瀬海水浴場から250mほど山に入ったところに“善勝寺”という寺があり,その海側に“孝婦ゆりの碑”などたくさんの碑が並んでいて,その中に「おけさ発祥之地」と刻まれた石碑がある。隣には説明板が建っている。
「おけさ」は 新潟県を中心に全国各地で多く歌われている民謡で,新潟県内では 有名な「佐渡おけさ」をはじめ「小木おけさ」「新潟おけさ」「寺泊おけさ」「出雲崎おけさ」「柏崎おけさ」などなどが,また新潟県外では 長野県の「小谷おけさ」秋田県の「大正寺おけさ」奈良県の「初瀬おけさ」などがある。
また 「おけさ」のルーツは,九州・牛深の“ハイヤ節”から出たものと言われる。
「おけさ」という名称の由来については 多くの説があるようで,
- 「‘おけさ’という猫の名前」説,
- 「桶屋佐助のフイゴ唄(=桶佐)」説,
- 「お袈裟」説
などがある。
この地の発祥碑の説明では「音羽の前が袈裟のまま唄い踊った」という「お袈裟」説を採っている。
善勝寺から 100mほど北に“念相寺”という寺があり, ここには「おけさ源流の地」という石碑が建っている。 「源流の地」碑の説明板には,「発祥の地」とほとんど同じ内容の説明が書かれており,また これら2つのは どちらも「おけさ源流の地記念碑を建立する会」によって 1984(昭和59)年に同時に建立されたようで,どうして2つの碑があるのか理解に苦しむ。
写真
碑文
おけさ発祥之地
昭和五十九年十月
おけさ源流の地記念碑を
建立する会 建之
出雲崎おけさの起源
今から八〇〇年程前の平安時代の終りに,奥州藤原氏の重臣で陸奥丸山領主佐藤庄司元治の子,継信,忠信兄弟は源義経の中心として平家討伐に活躍した。兄継信は屋島の合戦で義経の身代わりに,弟忠信は源頼朝に追われた義経をかばいそれぞれ戦死した。兄弟の母「音羽の前」は,せめて戦場の跡を訪ねようと奥州を旅立った。ようやく出雲崎にたどりついたが,先途の長旅を思い,この地で尼僧となり二人の菩提を弔ったという。
今に伝わる「出雲崎おけさ」は,「音羽の前」が建久元年(1190年)に,立派な最期を遂げた兄弟の詳報を聞き,嬉しさのあまり尼僧たちと袈裟法衣のまま唄い踊ったのが始まりで,「袈裟」が「けさ」「おけさ」となり,これが「おけさ」の起源であると伝えられている。