南部 牛追唄 発祥の地

なんぶうしおいうたはっしょうのち

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山田線 川内駅から北へ40km、盛岡市内からなら北東へ90km、三陸リアス鉄道 岩泉小本駅から西へ60km、早坂峠の早坂高原ビジターセンター(下閉伊郡岩泉町釜津田権現44)駐車場入口の早坂峠碑に並んで標注が立つ。

南部牛追唄は、岩手県を代表する民謡の一つである。藩政時代、岩泉地方を通る道では、沿岸部で産出された塩や海産物を牛の背に積み、南部藩の城下町であった盛岡へ運ぶ交易が行われていた。その荷を運んだ牛方たちが、牛を追いながら道中で唄ったものが南部牛追唄として伝えられている。岩泉町では、こうした道を「塩の道」として説明している。

南部牛追唄は、牛方の仕事と結びついた道中唄として発達したものである。「牛方節」とも呼ばれ、岩手県和賀郡地方の牛方の道中唄で、沢内村付近でよく唄われたことから「沢内牛追唄」とも呼ばれたとされている。

一方、南部牛追唄の源流は岩泉地方だけに限定されるものではなく、南部領の広い地域で歌われていたとする資料もある。『日本大百科全書』は、青森県三戸郡から秋田県鹿角郡、岩手県和賀郡、上閉伊郡、下閉伊郡などに広がっていた牛方の道中唄として説明している。

写真


碑文

南部牛追唄発祥の地

牛追の道(旧小本街道)

盛岡城下の本町地内で、奥州道中から分岐して北東方面に進む道筋は、油町惣門、下小路、山岸町、御弓丁桝形などを通過して城下と分かれ、その先、名乗り坂(以上、盛岡市)、明神山、藪川(以上、玉山村)などを経由し、早坂峠を越えて下閉伊郡に入り、さらに、門、袰綿、岩泉、などを経て乙茂(小友)から小本(以上、岩泉町)へと通じている。この道筋が小本街道と呼ばれていたものであるが、その途中では、閉伊街道、野田街道などの呼称も使われていた。
この旧街道は、沿岸北部と盛岡など内陸を結ぶ、重要な物流・交易の道であり、季節によっては一日六十から七十頭もの牛が往来したという。
沿岸からは塩、海産物、鉄などを運び、盛岡などでコメ、アワ、ヒエ、マメ等の穀類や雑貨と交換した。特に、塩はその中心で、「塩一升、米一升」で交換された。
しかし、この塩の行商の道中は、牛方にとって決して楽な道程《みちのり》ではなかった。途中、野宿もしなければならず、病気や怪我、熊や狼の危険や、道の険しさなど命懸けの旅であった。
なかでもこの地、岩谷から末崎までの早坂峠は、終われるコテイ(雄牛)にとっても、追う牛方にとっても難所中の難所であった。

(岩手県文化財調査報告書第六十六集・岩手県「歴史の道」報告より一部引用)

地図

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下閉伊郡岩泉町釜津田 付近 [ストリートビュー]