「青鞜社」発祥の地 

せいとうしゃはっしょうのち

不忍通りの“団子坂下”交差点から西に向か 団子坂を上ると, 数ブロック先の 右側(北側)に NTT-ME のビルがある。このビル前の公衆電話ボックスの前に金属プレートがはめ込まれている。

青鞜社は, 明治末期に, 女性の権利が認められないことに不満を抱いた平塚雷鳥らが結成した組織で, 当初は 女性の文学者の集まりだったが, 次第に女性の解放運動に目を向けていった。「元始、女性は太陽であった。真性の人であった。今、女性は月である。」 で始まる青鞜社の宣言はよく知られる。

この場所は, 青鞜社の社員の一人 物集和子の自室で, 雑誌『青鞜』の編集室になった。


NTT-MEの建物は解体され、平成23年(2011) 3月に集合住宅となり、プレートは立札に形を変え律儀に再建された。

写真

  • 青鞜社発祥の地 碑文
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碑文

青鞜社せいとうしゃ」発祥の地

文京区千駄木5-3-11

青鞜社は, 平塚らいてう(雷鳥・1886~1971)の首唱で, 木内てぃ子・物集もずめ和子・保持やすもち研子よしこ・中野初子ら20代の女性 5人が発起人となり, 1911年(明治44)6月1日に結成された。 事務所は ここ旧駒込林町9番地の 物集和子宅におかれ, その裏門に「青鞜社」と墨で書かれた 白木の表札が掲げられた。
月刊「青鞜」の創刊号は 明治44年9月に発刊された。雷鳥の発刊の辞 「元始, 女性は実に太陽であった」は有名で, 女性たちの指針となった。 表紙絵は 後に高村光太郎と結婚した長沼ちゑの作である。
青鞜社は始め 詩歌が中心の女流文学集団であったが, 後に伊東野枝のえが中心になると, 婦人解放運動に発展していった。 事務所はその後 4ヶ所移り, 「青鞜」は1916年(大正5)2月号で廃刊となった。

─郷土愛を育む文京区─
文京区教育委員会

平成8年3月

地図

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文京区千駄木5丁目 付近 [ストリートビュー]