東洋大学 発祥之地

とうようだいがくはっしょうのち

東京大学の南側の出入口が 竜岡門。その100mほど東側にある 麟祥院(文京区湯島4丁目1-8)の 山門を入ってすぐ左手に, 茶色の自然石に「東洋大学発祥之地」と刻まれた碑が建つ。

明治20年(1887) 井上円了が この地 麟祥院内に 私立哲学館を創設。 「哲学館大学」の名称を経て, 明治39年(1906)「東洋大学」と改称。

現在は 白山(文京区), 赤羽台(北区)、朝霞(埼玉県), 川越(埼玉県), 板倉(群馬県) の4ヵ所に キャンパスがある。

麟祥院は 春日局の菩提寺として有名。


境内が整理されたらしく、石碑は門をくぐった左の奥へ移設されていた。

門前の教育委員会による平成2年の案内板は、令和になって改められた。

東洋大 板倉キャンパスは令和6年(2024) に閉じられた。令和5年(2023) には赤羽台キャンパスが新築竣功した

写真

  • 麟祥院
  • 東洋大学発祥之地
  • 東洋大学発祥之地 碑陰
  • 東洋大学発祥之地
  • 麟祥院 説明
  • 麟祥院山門(2026)
  • 麟祥院前案内板(2026)
  • 東洋大学発祥之地(2026)
  • 東洋大学発祥之地(2026)
  • 東洋大学発祥之地 背面碑文(2026)
  • 麟祥院本堂(2026)

碑文

東洋大学発祥之地

明治二〇年(一八八七年)九月十六日
井上円了は民衆に教育の機会を開放し
かつ哲学を中心とする教育を行うことを
目的として, 東洋大学の前身である哲学館を
この地に創立した

昭和六十二年九月十六日

東洋大学創立一〇〇周年記念建立

哲学館跡てつがくかんあと

明治20年(1887)、この麟祥院内に「東洋大学」の前身である「哲学館」が創立された。
創立者井上円了えんりょうは、安政あんせい5年(1858) 越後えちご国(新潟県)の寺に生れる。明治18年(1885) 東京大学文学部哲学科を卒業。2年後の明治20年(1887) 9月16日、哲学と宗教の啓発けいはつのため、私塾「哲学館」を境内の一むねを借りて開校する。哲学館では、授業以外に今日の通信教育ともいうべき講義録を毎月3回発行し哲学の普及につとめた。
円了は大正8年(1919) 大連で逝去。享年61歳。

東京都文京区教育委員会

平生2年3月

哲学館跡てつがくかんあと

明治20年(1887)、この麟祥院内に「東洋大学」の前身である「哲学館」が創立された。
創立者井上円了えんりょうは、安政あんせい5年(1858) 越後えちご国(新潟県)の寺に生れる。明治18年(1885) 東京大学文学部哲学科を卒業。2年後の明治20年(1887) 9月16日、哲学諸科の教授を目的として、私立学校「哲学館」を境内の一むねを借りて開校した。哲学館では、授業以外に講義録を毎月3回発行して、今日でいう通信教育を行うなど哲学の普及につとめた。
円了は大正8年(1919) 大連で逝去。享年61歳。

文京区教育委員会

令和2年11月

地図

地図

文京区湯島4丁目 付近