しいたけ 発祥の碑
しいたけはっしょうのひ
豊肥本線の緒方駅の裏。プラットホームから見える位置に「しいたけ発祥の地」と書かれた 碑が建っている。これは 椎茸栽培の原木(ほだ木)を模したもので,碑の前後左右から突き出ている短い枝のような突起は しいたけ菌を植えつける“種駒” 生えてきたしいたけを模したものだろう。
大分県は 椎茸の大生産地で,乾椎茸では全国で第一位(シェア30%)である。栽培の歴史は古く,江戸時代初期(17世紀前半)に炭焼きをしていた源兵衛という人物が,原木の残材に椎茸が生えるのを観察して初歩的な人工栽培を始めていたという。
これは“鉈目法”と呼ばれる方法で,クヌギなどの原木に鉈で傷をつけて野外に放置し,自然に椎茸菌が付着して繁殖するのを待つという原始的な方法であった。
江戸時代末期になると,自然に菌が付着するのを待つのでなく,積極的に種菌を植えつける方法が開発され,椎茸栽培は大分県内に広まり,明治以降は椎茸輸出の増加に伴い生産量も急増。さらに栽培技術も向上して,全国に普及していった。
豊肥本線 緒方駅の南側、プラットホームから見える位置に「しいたけ発祥の地」と書かれた碑が建っている。これは 椎茸栽培の原木(ほだ木)を模したもので,碑の前後左右から突き出ている短い枝のような突起は しいたけ菌を植えつける“種駒”を模したものだろう。
なお,津久見市には「日本特殊産業椎茸栽培業者発祥地」という碑がある。
写真
碑文
しいたけ発祥の碑
寛永のころ豊後の国に名を源兵衛という炭焼あり たまたま原木のナタ目に自然発生したしいたけを発見してこれが栽培の端緒となった伝えあり その後 文政三年 斉藤重蔵なる人この豊後国岡藩の岳山(大字上畑字柳谷)にて藩直営のしいたけ栽培指導を行い量産成功を見るに及んで一般またこれに倣い以来しいたけ栽培事業は技術の向上と相俟って今日にみる重要な国内産業の分野に登場す こゝに史実をもってゆかりとし 益々 斯業発揚の意図に燃える町内生産者相計り「しいたけ発祥の地」を建碑し後世に遺す
昭和四十四年九月二十三日建立 緒方町しいたけ生産者